「救いになっているのか」
お寺が御門徒さんの救いの場所になっているのだろうか⁇とこの文章を見て思った。
先日、あるところからお仕事の依頼を受けた。僕のところに来る前に、先に頼んでいたところがあり、断られたので僕に依頼が来たのだ。
僕はびっくり暁天した。
断る人なんているのか…
御門徒さんは困って頼って来て下さっているのに…
それをお布施が安いからと言って…
しかも、お布施の交渉の折り合いがつかなく断られたと…
そもそもお布施に交渉なんて必要なのだろうか…
僕はただでお勤めをした事がある。
お布施の袋に何も入ってない時もあった。
お布施を交渉した事も足りないと言って請求した事もない。
輪番の言葉を思い出す。
「お布施は自分の私服を肥やすためにいただくわけではない。仏法の為に使わせていただくのだから、胸を張ってどうどうと遠慮せずお預かりしてきなさい」
という事は請求してもいいのかな⁇
と、とにかく断ると言うことはもう依頼が来なくなるなぁと、自らご縁を切ってしまっては救いも何もあったもんじゃないのではないかと考えさせられました。
南無阿弥陀仏