真宗本廟

竹中先生は、

「阿弥陀堂は念仏相続の場、御影堂は法義相続の場」

と仰っております。そして、

御影堂門(大門)は、「正信偈」の「如来所以興出世、唯説弥陀本願海」を表現(仏)し阿弥陀堂(の内陣)は、その本願海(法)を表し、御影堂は宗祖親鸞聖人を中心にした「僧伽」(僧)を表しています。そこに、浄土真宗の仏・法・僧の三宝が表現されているのです。

という説明を昔、補導さんからお聞きしました。

その意味で、御影堂門上の釈尊・弥勒・阿難の三尊像は「大経」の会座を表現しているところから、釈迦出世の本懐を表現しているのです。

南無阿弥陀仏

人類に捧げる教団

『もっともっと悩まねばなりません。人類の様々な問題が私たちに圧しかかっているのです。安っぽい喜びと安心にひたるような信仰に逃避していることはできません。むしろそういう安っぽい信仰を打ち破っていくのが浄土真宗です』。安田理深師

『浄土真宗は人類に開かれた教えです。ですから、誰が聞いてもよろしいのです。真宗門徒だけの親鸞聖人ではないのです。すべての宗教の地下鉱脈なのです。仏教徒だけではなく、キリスト教徒でも、イスラム教徒でも真宗に遇わなければなりません。

同朋会運動は、門徒を増やしたり、強くしたりするための運動ではありません。キリスト教徒が親鸞聖人の教えを聞いたら、キリスト教をやめて真宗門徒になったり、仏教徒になるのではないのです。

キリスト教徒が浄土真宗の教えに遇うと、キリスト教がより深くいただけるのです。イスラム教徒が、真宗門徒に改宗するのでもありません。イスラム教がいよいよ深く頷かれるのです。そういう「生まれて生きる」という一切衆生に開かれた教えが浄土真宗なのです」と。

私たちは、一宗一派という狭い中をウロウロしていたのではないかと思います。御遠忌を契機に、閉じられた殻を破っていかなければなりません。 (藤田輪番)

北海道教学研究所

北海道教研は、

「教研は布教使を育てる場ではない。1人の念仏者を生み出す場である。」

この、意味を最近考えさせられております。

北海道でも法話研修会がありましたが、何故教研は布教使を育てる場ではないのか。

「あなた自身、念仏者ですか?自分は、念仏をいただいてないのに、念仏を人に勧めたり、お布施を頂いてないですか?ということを問われるのが教研だと思います。」

食う為に坊さんするなと言う、先生の言葉が響いておいります。

南無阿弥陀仏