今日は御門徒さんが来てお菓子づくり♪
僕はお通夜で途中で抜けて食べられません😹
今後、うちのシェアキッチンでお菓子を作ってみたいと。売ったり子ども食堂で提供するのに、同じ食品衛生でも、お菓子は別なんですね🤔
賞味期限の問題で作って3日経ったお菓子を保険所に持って行って菌が繁殖してないか検査するみたいです🤔
知らなかった😊




今日は御門徒さんが来てお菓子づくり♪
僕はお通夜で途中で抜けて食べられません😹
今後、うちのシェアキッチンでお菓子を作ってみたいと。売ったり子ども食堂で提供するのに、同じ食品衛生でも、お菓子は別なんですね🤔
賞味期限の問題で作って3日経ったお菓子を保険所に持って行って菌が繁殖してないか検査するみたいです🤔
知らなかった😊
よく世間では「終わり良ければ全て良し」と言う言葉を耳にします。
しかし、仏法はそれだけでは終わりではありません。
めでたし、めでたしで終われば楽なのですが、なかなかそうはいきません。自己啓発セミナーは大概そうではないでしょうか?信心を得た喜びを語り合い、良かった良かった。有り難い有り難いで歩みがストップしてしまう危険性がそこにはあります。
阿弥陀経というお経の最後に「歡喜信受 作禮而去」とあります。お釈迦様の説法を聞いたお弟子さんたちは喜び感動して、最後に頭を下げてその場から立ち去りましたと書いてあります。では、どこへ帰ったのでしょうか?自分の思い通りになる場所へ帰ったわけではありません。人間関係を生きている現場へ帰ったのです。お釈迦様の説法を聞いたからと言って信心を得て、自分の思い通りの世界になるということではありません。お釈迦様の説法を聞くということは、人間関係が切り刻まれどろどろとした場所へ、勇気を持って帰って行くことができるようになるということをお経では説かれているのです。その場を逃げ出すことなく、辛いけれども、苦しいけれども、現実を引き受けていける勇気を与えてもらうということです。それが、「歡喜信受 作禮而去」という言葉で教えられることです。そのことが私たちひとりひとりの救いであり、信心をいただくということなのではないでしょうか。
研修会が終わりスッキリして帰るのではなく、悶々としながらモヤモヤを抱えて、安心して迷っていける道をいただいていく、それが仏道です。
南無阿弥陀仏