“経験に無駄なものは無い”
ってつくづく思う。
学生時代、英語の教員を目指して勉強した。教育実習を経験して、教科を教えるだけではなく、進路、生活相談も請け負うこと、広い視野が必要と感じた。すぐに採用試験は受けず、全く違う仕事に着いた。
時は流れて39歳で栄養士になった。英語じゃなかったけど栄養学で教壇に立てた。
学んだ英語も何十年も経って病院勤務で役に立った。
栄養士の職は離れたけど経験はお寺に入っても寺子屋で再び活かされている。
いつか親の介護の役に立てばと、栄養士の学校に在学中に取得した訪問介護。
親への役には立ててないけど、今日依頼を受けた民生委員への道に繋がっているような気がする。
流されながら生きてきたけど、いろいろな事が繋がってきた。
人の目には苦労と見えるようだけど、過ぎてみるとそれは”充実”という言葉に変わるようだ。
人生の折り返し地点は過ぎたけれど、これからも目の前のことを大切にしていこうと思う。
不器用だから、それが精一杯。
そうそう、先日、お参り先での世間話の中で、じつは大学ではフランス語を勉強したくて獨協を受けたけど、ご縁なくて、、。でも栄養士で就職したのは獨協医大でした。そしていまはお坊さん。不思議です。なんて話したら、御門徒さんから、てもフランスは漢字で「仏」ですからね。ご縁ですね。
って。。
おぉ〜!そこから繋がるのか〜、、、。
伏線回収しまくりです。
遠回りでも、経験はちゃんと糧になります。 南無阿弥陀仏
