中野誠二先生はいつかの講義の中で「お勤め、月参り以外の時に何をしていますか」「やらなくてはいけないことを先送りにしているということはないですか?」と、法務以外の生活をどう過ごしているのかということが大事ではないかと指摘してくださいました。そして「真宗大谷派教師として生きる意味は、自らが仏法に生きる道を見いだせるかどうかである」と力強く教えてくださいました。
それは、お寺は法務だけしてればいいと言うわけではないと言うことです。また、恩師は食う為に坊さんするなが口癖でした。何故、口酸っぱく言っていたのか、今となっては深い意味まではわからず、みなその時はは黙ってしまいましたが、今は、坊さんするために食べさせてくださいということだと受け取っております。
食う為ではなく、坊さんする為に食べさせてくださいと言えるのか。そして、坊さんだけの勉強会だけで終わるのではなく、ご門徒さんと共に聞法をしていく為の勉強会にならなければ、参加しても意味がないのだと思います。それは、共に養い養われお育てをいただいていく歩みです。
「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにて阿弥陀仏をふかくたのみまゐらて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来すくひましますべし。
これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」
南無阿弥陀仏