ぼっーとする時間も大切

小学校の通知表は5段階である

世の中は学歴で比べるこれが当たり前だと思ってるっていうことが問題なんですね

例えば国によっては義務教育期間中に子供を数字で比べることの禁じられてる国があります。それが子供をダメにするからです。

その国では小学校低学年は授業の時間を、例えば小学校1年生は1週間に20時間以上授業さを受けさせてはならないという風に決まってます。なんでか分かりますか。

脳が疲れるからです。

子供たちにとってぼーっとする時間は授業

受けてる時間よりはかに大事なんです。

今は、

脳科学でそういうことがかなり解明されて

きたにも関わらず、日本は昔ながらの長い

こと勉強したやつがすごいみたいなところにありますけれども。

今年も大谷大学の入学式の祝事で真宗

学科の人たちに言ったのは、君たちにとって世界の誰にも負けない財産は4年間っていう時間を手に入れたことだと申し上げました。これをバイトに行ったら得すると思うかもしれんけれども、それは1時間働いたら1500円貰えたということは自分の貴重な宝物を1500円で

売ってしもたということやぞと、考えろと。いう話をちょっとどうかなと思いましたけど、しました。つまりね宗教とかぼーっとって言うたらいきませんけれども、ぼーっと考える時間がとても大事なんです。その呼吸を深くして、そして静かにぼーっとと何かのためというんじゃなしに、考える時間ってとても大事ですね。かつてからお内仏の前に座る時間っていうのはやっぱりそういう部分があったんじゃないでしょうか。(真城義麿)

オーブン

子ども食堂のオーブンが届きました♪
大切に使わせていただきます🙏😌✨

心づかい

先日坊守が、御門徒さんから「こんな心のこもったお勤め初めてです。」とお勤め後、声をかけてくださった〜と話してくれた。僕からしたら声明はまだまだだなと思いますが、
「『心』は誰にも見えないけれど、「こころづかい」は見える。『思い』は見えないけれど、『思いやり』は誰にでも見える。その気持ちをカタチに。」表れたのだと思います。声明がうまいとか、法話が上手とか思いを超えて伝わるものがあるのだなと思います。それは、僕には真似は出来ないものだなと思います。