お盆によせて

インドの最初の統一王朝であるマウリヤ朝第3代のアショーカ王は、仏塔の建設を全土に仏塔(ストューパ)を建て、仏舎利(ブッダの遺骨)を分納した。伝承によると王は8万4千の仏塔を建てることを目指したという。現存する石塔には、インド中央部のサーンチーの石塔が有名である。(世界史の窓より)

お釈迦さま入滅後、お弟子さまによりご遺骨を8分骨され仏舎利塔が建てられました。それが、お寺の始まり、お墓の始まりと言われております。

そして、滅後およそ100年(または200年)に現れたアショーカ王によって、インド中に仏塔が建てられました。それが、大乗仏教の始まりと言われております。

それまでの仏教は在家の信者はいましたが、出家者中心の仏教でした。結集と呼ばれるものに在家信者がいなかったというのも出家者中心だったことを物語っています。

アショーカ王によって、在家の方々の近くにも仏塔が建てられ今まで仏法に縁が無かった方々も集うことができ、出家者も在家者も共にお釈迦さまの教えを聞く居場所が出来きました。

何故、8万4千もの仏塔を建てる必要があったのでしょうか?そこに、お釈迦さまの教えは8万4千あると言われる所以があります。

世の中いろいろな悩み苦しみを抱えた方がおられます。悩み苦しみは人それぞれ違います。ですから、8万4千の仏塔がなければならなかったのです。もしかしたら、8万4千では足りなかったかもしれません。2500年前の話しではなく、今まさに私たちが抱えている問題です。現在、後継者問題や過疎の問題などさまざまなに理由により、どんどんお寺が廃寺になっており、聞法の道場の意義を問い直さなければなりません。

アショーカ王のように8万4千ものお寺を建てる事は出来ませんが、たった一つの開教所建立と言う志願が2500年の時を超えて、時代を超えて、世間を超えて、世代を超えて、国を超えて、末法五濁の無仏の時代だからこそ、在家仏教であるからこそ、悩み苦しみを共にするお寺が一つでも増えていく事が願われているのではないでしょうか。

7月にもお盆を迎えましたが、8月のお盆の時期になり、いよいよ逆さまになっている自分自身が知らされております。浄土真宗のお盆は1年中なのです。

先日ご葬儀のさい喪主様の挨拶で、

「死者が生者を迷わせてはならない」

が、主人が生前常々言っていた遺言でしたと挨拶されました。

私たちは、逆に死者を迷わせて自分は迷っていないと思ってないでしょうか。

その挨拶を聞いて、今の自分に響くものがあり涙が出そうになりました。

南無阿弥陀仏