同期の先輩

先日、別院時代に苦楽をともにした同期の先輩と、久しぶりに電話で話しました。

別院の近況や、八王子での出来事をお互いに語り合いながら、
「時代も変わったね」
と、流れる時間の早さに驚かされました。

電話の最後に先輩が、

「分ちゃんは、名畑イズムを継承してるんだね。八王子へ行っても、根っこには名畑輪番の教えがある。」

と言ってくださいました。

その一言が、本当に嬉しかったです。

名畑輪番には、仏法だけでなく、人との向き合い方や、聞法者としての姿勢など、多くのことを教えていただきました。

気づかないうちに、その教えが今の私の土台になっているのかもしれません。

別院時代、同じ在家出身として苦楽をともにし、いつも支えてくださった先輩。

こうして今も変わらず気にかけてくださることに、心から感謝しています。

南無阿弥陀仏🙏

人の道

今日は御門徒さんが来てくださいました。

人生、いろいろあります。

思いどおりにならないことや、苦しい出来事に出会うこともあります。

お話を聞かせていただく中で、恩師からいただいた言葉を思い出しました。

「人の道を外さず、真面目に生きていれば、大抵のことは何とかなる。大丈夫。」

私も、そのままお伝えしました。

私にできることは多くありません。

それでも帰り際に、

「話を聞いてもらえただけで心が軽くなりました」

と言ってくださいました。

その言葉が、とても嬉しかったです。

坊守と一緒に八王子駅までお送りした帰り道、ふと考えました。

「人の道を外す」とは、どういうことなのだろう。

この言葉を聞くと、犯罪や悪いことを思い浮かべます。

もちろん、それもあるでしょう。

しかし、本来はもっと身近なことなのかもしれません。

人をだますこと。

人を傷つけること。

約束を軽んじること。

自分の利益のために人を利用すること。

感謝を忘れ、自分だけが正しいと思い込むこと。

そうした生き方も、「人の道を外す」と言えるのかもしれません。

しかし、真宗ではさらに私自身へと問いが向けられます。

『大無量寿経』には、

心常念悪
口常言悪
身常行悪

と説かれています。

罪悪深重、煩悩具足の凡夫である私には、「私は人の道を外していません」と言い切ることは出来るでしょうか。

だからこそ大切なのは、道を外さない人になろうとすることではなく、道を外してしまう私であることに気づかされ続けることなのではないかと思います。

恩師は私に、

「立派な坊さんにならなくていい。立派な坊さんは世の中にたくさんいるから、あなたがわざわざなる必要はありません。立派な坊さんではなく、自分の身の事実を素直に白状できる坊さんになってください。」

と教えてくださいました。

今もその言葉が、深く心に響いています。

その気づきを与えてくださるところに、阿弥陀さまのおはたらきがあるのだと思いました。

南無阿弥陀仏🙏

8の日

今年、8が並ぶ「令和8年8月8日」を吉日と位置づけ、八王子では「人と人」「人と街」のご縁を結ぶさまざまな取り組みが企画されているそうです😊

確かに、何かを始めるきっかけの日として、多くの人が笑顔で集えるのは素敵なことだと思います。

一方で、鎌倉時代末期の随筆家・吉田兼好は、

「吉凶は人によりて日によらず」

と述べています。

幸・不幸は日取りによって決まるのではなく、その人のあり方や日々の行いによるという教えです。

さらに親鸞聖人は、

「かなしきかなや道俗の、良時吉日えらばしめ…」

と、『高僧和讃』の中で、私たちが良い日・悪い日にとらわれてしまう姿を、悲しみをもって見つめておられます。

仏さまのはたらきに出遇うご縁に、吉日も凶日もありません。

今日という一日が、誰かとのご縁を結び、自分自身を見つめ直す一日となるなら、その日こそが本当の意味での「吉日」なのかもしれません。

初宿和夫八王子市長は、「八王子を8並びの聖地にしたい」と意気込まれているそうです。

願入寺でも毎月28日を「ニッパチの日」として、ご縁をいただいています。

ただ、「自分のところだけが良ければいい」という願いになってしまえば、その時点で、どこかが聖地になれば、どこかは聖地ではない場所になってしまいます。

願入寺のニッパチの日も、「ここだけが特別」ではなく、人と人とのご縁が広がり、八王子から日本へ、日本から世界へと、温かなご縁が結ばれていく。その小さな一歩となれたら、これほど有り難いことはありません。

聖地とは場所ではなく、人と人が出遇い、共に生きるご縁が生まれるところ。

そのご縁が、世界中へと広がっていくことを願っています?

南無阿弥陀仏🙏

パソコン

昨日はパソコン屋さんへ💻

まだまだ使えるパソコンなのに、Officeが対応しなくなってしまいました。

壊れたわけでもないのに、「古い」という理由で使えなくなるのは、新しいパソコンへの誘導作戦ですね完全に😹

致し方ない。去年購入したMacBookに、これから頑張ってもらいましょう💡

「おじいちゃんがカエルになりますように」🎋🐸

……。

「帰る」なのか、「蛙」なのか。

どちらにしても、叶うといいですね😊(※パソコン屋さんの短冊ではありません)

7月7日

願入寺は、「願いが入る寺」と書きます。

願いが叶うことだけを願うのではなく、一人ひとりの願いを大切に受け止めたいと思います。

その願いの中には、自分勝手な願いや、迷いから生まれる願いもあるかもしれません。それでも、まずは願いを抱いてお寺に足を運んでいただけることが、ご縁の始まりなのだと思います。

なぜなら、

「寺は、迷っていない者をも迷わせる場」

だからです。

「私は迷っていません」と思っていた私が、お寺で教えを聞く中で、本当に迷っていたのは住職の私だったと気づかされる。その出会いがお寺にはあるのだと思います。

恩師は、お寺を病院にたとえて話してくださいました。

入院患者は住職。通院患者は御門徒さん。

親鸞聖人から処方された阿弥陀さまの妙薬をいただく、煩悩具足の凡夫です。

だから住職は、皆さんを治す医者ではありません。一緒に阿弥陀さまの妙薬をいただく、一番の重病人なのです。

だからこそ、願入寺が、さまざまな願いの入るお寺でありたいと思う七夕でした〜🎋

南無阿弥陀仏🙏

今日の言葉

「きかし得ない自分の不徳を反省しよう」

「寝てしまえ」

耳が痛い言葉ですが、響きますね。

どれだけ毎日、変えよう変えようと頑張ってきたことか。

「うまくいかない時、あなたが変わりなさいと言う合図」 加藤泰三

お寺でご法事

今日はお寺でご法事。

ご遺族のお話では、故人様が生前から
「何かあったら願入寺さんへお願いしなさい」
と話されていたそうです。

以前、坊守の一周忌のお勤めが心に残っていて、そのご縁を大切に思ってくださっていたとのことでした。

最近は「住職ではなく、坊守さんにお願いしたい」とご指名をいただくことも少しずつ増えてきました。

普段はあまり表に出ることはありませんが、見えないところで一つひとつのご縁を大切に積み重ねてきたのだなあと、改めて感じました。

南無阿弥陀仏🙏

ししおどし

妻が「ししおどしを作ってみたいなぁ」と話していたら…

ご近所さんが竹を持ってきてくださいました😹

太い竹に、支柱用の細い竹まで✨
なんという優しさ🥹

こうして地域の皆さんに支えられながら、お寺づくりが少しずつ進んでいます。

本当に有難うございます🙏🙇

果たしてちゃんと作れるのかが問題ですな😄