研修会

東本願寺が設立した開教所第2号のお寺で、寺族研修会に参加してきました。

坊守と机を並べて研修を受けるのは何だか気恥ずかしさもありましたが、寺族対象の研修会なので勇気を振り絞りました。飛び込んでみなければわからない世界もあります。

今回のテーマは「法人化までの歩みと法人化後の取り組みについて」

開教とは何か。綺麗事だけではなく、法人化に向けた事務的な手続きや責任についても、深く真剣に考えていかなければならないと感じました。

「仲間を作ることは、必ず仲間外れを作ることであります」

それぞれの現場での苦労を語り合うことも大切ですが、その輪の中に入れない人がいるかもしれないという視点を忘れず、一人でも多くの方に開かれたお寺を目指して、これからもコツコツと一歩ずつ歩んでまいりたいと思います🙏

法話会、子ども食堂、坊主バー

昨日は降ったり止んだりの蒸し暑い一日でしたが、法話会には6名の方がお越しくださいました。
足元の悪い中、本当に有難うございました🙏

子ども食堂には5名の方がお食事に、お持ち帰りには13名の方が来てくださいました😊

配膳や片付けなど、皆さんが自然と手分けしてお手伝いしてくださり、とても有り難く、温かい時間となりました。

また、野菜やレトルト食品、お菓子、国境なき医師団の絵はがき、そしてビールまで、たくさんの差し入れをいただきました。

子ども食堂の後は、坊主バーに早変わり。皆さんと乾杯する一杯は格別に美味しかったです。いつも来てくださる常連さんはなんと学◯員の方でした。びっくり。宗派問わず垣根を超えた交流、月一ですがやってて良かったなと思う大切な時間。

皆さまの支えによって、こうして毎月続けることができています。
本当に有難うございます🙏🙇

来月も28日に法話会と子ども食堂を開催いたします。
どうぞお気軽にお立ち寄りください😊🙏

合掌

緊張

何年経っても、何回やっても緊張する

「緊張しなくなったら、坊さん辞めなさい」

恩師の言葉が響いてきます🙏

28回目のニッパチ

台風7号(メーカラー)、台風8号(ヒーゴス)のW台風🌀に加え地震による被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。

台風は東へ抜け温帯低気圧に変わる予報ですが、明日のニッパチ無理の無いようにお気をつけて、情報を確認しながらお待ちしております🙏

それにしても、昨日は八王子揺れましたね。最近揺れが続きます。

届いた

台風🌀で配達が遅れていると聞いていましたが、なんのその。
あっという間に届きました。

人の噂って、あまり当てになりませんね😄

ニッパチの日に間に合って良かったです。

さて、今日は26日。
何て書いてあるかな。

私は 私の人生の旅路において
「今日」というこの道を
二度と通ることはない

なるほど…。

「笑って通ろう
歌って過ごそう」

とありますが、歌ってばかりもいられません。

勉強しないと😹

自分で「愚か者」とは、なかなか言えません。
言ったら坊守に「もっとしっかりしなさい!」と怒られそうです😹
だからこそ、教えによって知らされる言葉なのでしょうね🙏

70年読み継がれてきた重みが感じられます

言の葉カード

7月の言の葉カード

ニッパチに渡そう🙏😊

メッセージカード、嬉しいですずっと大切にしますと。
メッセージカード普及促進委員会の会員番号No.1の御門徒さんはおりますが、副委員長にならせてくださいと言われたのは始めてでした🙏🥹

日々の糧

突然の連絡。

40年八王子に住んでいると言うご年配の方からの電話。
「日々の糧」と言う78年前の本を小さい頃お母さんから貰って、今日まで毎晩寝る前に読んでいると。来る日も来る日もページをめくり本がボロボロになってきたので、新しい本が欲しいとのお問い合わせでした。東本願寺に問い合わせたところ、無いといわれ、1番近いうちを調べて連絡をくださった。
なんか話しが噛み合わないし、聞いたことない本だったので、調べたらお西さんの本でした。法蔵舘に在庫があり5部取り寄せ。28日の法話会へお誘いし来てくださるとのこと。渡そう。喜んでくれるかな。
あ、その方は元々神道だそうです。

それにしても、80近くなってまだ本の言葉が新鮮で、書いた人凄いと仰っていた。僕も読むの楽しみ。

剪定

昨日はご近所さんとランチへ。

造園屋さんなので剪定してくれました😊

ビールもいただき乾杯🍻しました☺️

有難う御座いました🤗✨

質問

毎月の法話会を熱心に聴聞されている御門徒さんから質問を受けた。

「YouTubeで日蓮宗のお坊さんの話を聞いて、『法華経』とはどんな教えなのか興味を持ちました。浄土真宗では法華経をどのように捉えているのでしょうか?」

え?法華経ですか…。

真宗の僧侶である私にとって専門分野です!!とは言えず、以前教えていただいた先生の言葉を思い出した。

法華経とは、「すべての人が仏になれる」と説かれた尊いお経である。
しかし、その教えを本当に生きることは容易ではない。
それは、お医者さんの学会発表を専門知識のない者が聞くようなもので、何を言っているのかさっぱりちんぷんかんぷん分からないほど難しい。

そして、

「法華経は二階へ上がる道を示してくださる教え。しかし私たちは、その階段を上り切る力を持っているだろうか。いや、階段は目の前にありながら、一歩も踏み出せないのが私の姿ではないだろうか」

と話されていた。

法華経の安楽行品には、

「菩薩は他家に入るとき、小女・処女・寡女などと語らず、また五種の不男の人と親しく交わってはならない」

という一節がある。

現代語訳に、

「処女や未亡人と話してはならない、女性を見て喜んではならない」

と、訳してあった。

しかし、そこに説かれているのは、煩悩に振り回されることなく生きよ、という厳しい求めではないだろうか。

親鸞聖人は、そこをもっと根本的に見つめられたように思う。

異性を見て心が動くなと言われても動いてしまう。

怒るなと言われても怒る。

慈悲深くあれと言われてもできない。

だから問題は、「教えが立派かどうか」ではなく、

「その教えを生きられない私は、いったい何者なのか」

ということではないだろうか。

法華経の高さに照らされて、自らの姿が知らされる。

そこに親鸞聖人が歩まれた道があるように思う。

いい質問をいただいた。有難うございました🙏