届いた

台風🌀で配達が遅れていると聞いていましたが、なんのその。
あっという間に届きました。

人の噂って、あまり当てになりませんね😄

ニッパチの日に間に合って良かったです。

さて、今日は26日。
何て書いてあるかな。

私は 私の人生の旅路において
「今日」というこの道を
二度と通ることはない

なるほど…。

「笑って通ろう
歌って過ごそう」

とありますが、歌ってばかりもいられません。

勉強しないと😹

自分で「愚か者」とは、なかなか言えません。
言ったら坊守に「もっとしっかりしなさい!」と怒られそうです😹
だからこそ、教えによって知らされる言葉なのでしょうね🙏

70年読み継がれてきた重みが感じられます

言の葉カード

7月の言の葉カード

ニッパチに渡そう🙏😊

メッセージカード、嬉しいですずっと大切にしますと。
メッセージカード普及促進委員会の会員番号No.1の御門徒さんはおりますが、副委員長にならせてくださいと言われたのは始めてでした🙏🥹

日々の糧

突然の連絡。

40年八王子に住んでいると言うご年配の方からの電話。
「日々の糧」と言う78年前の本を小さい頃お母さんから貰って、今日まで毎晩寝る前に読んでいると。来る日も来る日もページをめくり本がボロボロになってきたので、新しい本が欲しいとのお問い合わせでした。東本願寺に問い合わせたところ、無いといわれ、1番近いうちを調べて連絡をくださった。
なんか話しが噛み合わないし、聞いたことない本だったので、調べたらお西さんの本でした。法蔵舘に在庫があり5部取り寄せ。28日の法話会へお誘いし来てくださるとのこと。渡そう。喜んでくれるかな。
あ、その方は元々神道だそうです。

それにしても、80近くなってまだ本の言葉が新鮮で、書いた人凄いと仰っていた。僕も読むの楽しみ。

剪定

昨日はご近所さんとランチへ。

造園屋さんなので剪定してくれました😊

ビールもいただき乾杯🍻しました☺️

有難う御座いました🤗✨

質問

毎月の法話会を熱心に聴聞されている御門徒さんから質問を受けた。

「YouTubeで日蓮宗のお坊さんの話を聞いて、『法華経』とはどんな教えなのか興味を持ちました。浄土真宗では法華経をどのように捉えているのでしょうか?」

え?法華経ですか…。

真宗の僧侶である私にとって専門分野です!!とは言えず、以前教えていただいた先生の言葉を思い出した。

法華経とは、「すべての人が仏になれる」と説かれた尊いお経である。
しかし、その教えを本当に生きることは容易ではない。
それは、お医者さんの学会発表を専門知識のない者が聞くようなもので、何を言っているのかさっぱりちんぷんかんぷん分からないほど難しい。

そして、

「法華経は二階へ上がる道を示してくださる教え。しかし私たちは、その階段を上り切る力を持っているだろうか。いや、階段は目の前にありながら、一歩も踏み出せないのが私の姿ではないだろうか」

と話されていた。

法華経の安楽行品には、

「菩薩は他家に入るとき、小女・処女・寡女などと語らず、また五種の不男の人と親しく交わってはならない」

という一節がある。

現代語訳に、

「処女や未亡人と話してはならない、女性を見て喜んではならない」

と、訳してあった。

しかし、そこに説かれているのは、煩悩に振り回されることなく生きよ、という厳しい求めではないだろうか。

親鸞聖人は、そこをもっと根本的に見つめられたように思う。

異性を見て心が動くなと言われても動いてしまう。

怒るなと言われても怒る。

慈悲深くあれと言われてもできない。

だから問題は、「教えが立派かどうか」ではなく、

「その教えを生きられない私は、いったい何者なのか」

ということではないだろうか。

法華経の高さに照らされて、自らの姿が知らされる。

そこに親鸞聖人が歩まれた道があるように思う。

いい質問をいただいた。有難うございました🙏

娘へ

今日は世界一周の日。朝ラジオでHSP(繊細さん)の話をしていた。HSPとはHighly Sensitive Personの略で、人一倍繊細な気質をもって生まれた人という意味だそうだ。世の中には繊細な人もいるし、そうでない人もいる。両方いてこそ世の中は回っていくのではないか、と締めくくりラジオは終わった。

 世界一周の日とは、一切の生あるものを認めるということがなければ、世の中は回っていかない日ということなのかな。

 そして今日は父の日でもあり、大安吉日でとてもいい日だとも言っていた。父の顔を知らない私にとっては少し複雑な日でもある。世間が「お父さんありがとう」と盛り上がるほど、少し胸がチクリとする日でもある。

 ―親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず―

 しかし親鸞聖人は、現世の父母だけでなく、一切の生あるものは皆、深い因縁によって結ばれていると教えられました。世界が回るということは、私一人の力ではなく、数えきれないご縁によって生かされているということなのでしょう。

 娘へ。

 人生には、先が見えず不安になる時があります。どの道を選べばよいのか、立ち止まってしまうこともあります。

 そんな時、私はこの言葉を思い出します。

「道」

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ

危ぶめば 道はなし

ふみ出せば その一足が 道となる

その一足が 道である

わからなくても 歩いて行け

行けば わかるよ

(昭和二十六年十月『同帰』所載)

 お父さんも、わからないまま歩いてきました。振り返れば、その一足一足が道になっていました。

 だから、焦らなくていい。立派にならなくてもいい。

 ご縁に生かされながら、自分の歩幅で一歩ずつ歩いていけばいい。

そして今日は、父の日だけではなく、夏至や国際ヨガの日、がん支えあいの日、キャンドルナイトの日、仕事も遊びも一生懸命の日、スナックの日、えびフライの日など、本当にたくさんの記念日が重なっている日でもあります。

 人それぞれ大切にしているものが違うように、一日にもいろいろな意味があります。

 繊細な人もいれば、そうでない人もいる。父を思う人もいれば、私のように少し複雑な思いで今日を迎える人もいる。

 それでも、それぞれがそれぞれの場所で生きているからこそ、世界は回っているのでしょう。

今日という日が、あなたにとっても、自分の歩む道を少しだけ見つめる一日になりますように。

研修会

終了者研修会へ参加して2週間が経ちました。

果たして、

私はいったい何を終了したのか。何も終了してないのではないか。

まだ、何も始まってもいないのではないかと。いつから、何が始まったのか。無始以来、常に流転し出離の縁がない煩悩具足の凡夫は始まっております。

そして、研修会に参加して違和感を感じた事がありました。

それは、研修会は楽しいと口にされている。今日を楽しみに来たと。明日も楽しみにしてると。

僕は楽しい研修会なんかあるのかなと思います。宮城先生は、師は眠らせない存在。友は酔わせない存在と言われます。

今まで、泣く泣く教えを聴いて来ました。それは、楽しんで聴いてきたわけではありません。

うちのお寺では、毎月法話会、子ども食堂、坊主バーをやっております。

先月の28日のお朝事の御文はたまたま一条八通でした。

吉崎へ来て3年が経ち、人が大勢集まるようになった。

しかし蓮如上人は、

「念仏の信心を決定し、往生を願わない者はここへ来る必要はない。今後は入場を許さない」

と、その御文には書いてありました。

北海道から出てきて8年。

八王子へ移転して3年。

法話会に、

「来てくださるだけで有難い」

入場規制など、とても考えられません。

しかし、よくよく考えてみると、

自分の話を聞いてほしい。

自分を認めてほしい。

自分の自慢話をしたい。

そういう思いでお寺へ来ている御門徒さんもおり、法話最中に話し出す方もいて、法話が中断する事もあります。注意すると来てくれなくなるのではないか。それは、門徒さんをお客さんとして見ているのではないか。

しかし、

何より私自身もお寺を利用して、自分を認めてもらいたいと思っている。

そんなことを考えさせられました。

「誰のためのお寺なのか」

「何のための法話会なのか」

今回の研修会で、改めて問い返されたように思います。

果たして、師は酔わせない、友は眠らせない研修会や、お寺になっているのか。

今の時代、そのような場は敬遠されるのかもしれません。しかし、だからこそ、師は眠らせず、友は酔わせない場でありたいと願います。

ボーっとする日も大切

梅雨の晴れ間を120%活用

夜もうどん朝もうどん

キャンプで食べるどん兵衛って、なぜか家の1.5倍くらい美味しく感じる

・川のせせらぎ
・焚き火🔥
・うどん
・誰にも急かされない時間

戻ったらまた頑張ろう

今は思い切り「何もしない時間」を味わう

お焚き上げ

うちは、お預かりした白木のお位牌は三回忌までお預かりしたあと、お焚き上げさせてもらっております🙏

三回忌を過ぎても引き取り手のない白木位牌を、きちんと管理し続けておられる願入寺さんの姿勢は、ご遺族にとっても有難いことだと思いますと言われております🙏

南無阿弥陀仏

町内会

今年から町内会の組長さん

会費集めなきゃ…

雨降りは長靴に限りますね😌☔️