「暑さ寒さも彼岸まで」
仏教では、東は此の岸(此岸)であり、西は彼の岸(彼岸)と言われます。此の岸は迷いの世界、すなわち現在私たちが日暮らししている娑婆を指します。彼の岸は迷いの無い覚りの世界、すなわち浄土を指します。
お彼岸は、おはぎを食べる日だけではなく、真東から昇り、真西に沈む太陽に浄土を重ねて思いを馳せる期間なのでしょう。
人生はよく旅に喩(たと)えられます。
旅は、目的地もほとんど決めず、不確定な状況や偶発的な出来事を楽しみ、自分探しや成長を目的とし、期間も決めないバックパッカー的なプチ出家に似てないでしょうか?
それに比べ現代の旅はほとんどが旅行と言われるもので、楽しむことが目的となっていて、楽しかったことが多ければ多いほど、いい旅行だったということになります。旅行先の色々な「土産」や「土産話」をいっぱいに最後は元の我家に帰ってくることによって、その目的は達成されます。観光旅行と言うくらいですから、光を観に行くのでしょう。
一方、旅は目的地は我が家ではなく、目的地に向かって歩んでいく片道切符の行程です。人生はまさしく片道切符の旅です。ですから、その目的がはっきりしていないと、その旅はむなしいものとなりますが、真宗は出家仏教ではなく、在家仏教ですから、目的地はやはり我が家です。浄土はありますか?と言う問いに、家庭はありますか?と同じ問いですと答えられた先生がいました。
我が家に帰るといい旅だったと同時に、やっぱり我が家が1番落ち着くという結論になります。行った先々のことも良くわかるけれども、自分の居場所の良さが1番わかるのが旅行です。真宗は在家仏教ですから、出家仏教のような旅ではなく観光旅行と良く似ています。
私の人生の目的は何か。決まっている人は良いのですが、まだ決まっていない人や、決めかねている人は不安な人生を送らなければならないのでしょうか?
たとえ、目的は無くても今生きていると言う事実があります。その今をどう受け止めるのか。目的はすでに決まっております。どのような環境であれ、状況であれ、産まれてきて良かった、今まで生きてきて良かったと言えるかどうか目的です。
娑婆に在っても迷いながら安心出来る世界を生き欲しいと願われております。
今、日本人の心の拠りどころが、ますます失われていこうとしています。お寺参りより、家でYouTubeやNetflixを見ている方がはるかに楽で極楽です。しかし、家にじっとしていられるかと言ったらそれも飽きて、外へ出かけ、また旅行したくなります。
お彼岸とは、自分の生き方、人生の目的について、普段考えようもない問題を今一度考えてみる期間ではないでしょうか。
それは、お浄土へ還られた亡き人をご縁として、仏さまといただき、浄土へ往ったら往ったきりではなく、私を導く仏さまとなって還ってくるのです。浄土を拠点としてあっちこっち出かけ、迷っている私のために教えとなり、はたらきとなってくださるのです。お彼岸とはこの期間だけではなく1年中だったのです。























