先生

今日は妻が帰省中なのでひとりぼっち。

先生をお誘いしてお食事会。お忙しい中来てくれました。

いろいろ語り合い時間はあっと言う間。いつも有難う御座います🙏😹🙇

その先生はあみだステーションの前住職です。

ご縁ですね

たまたま、フラッと入った居酒屋屋さん。
最初に、壁に貼ってあった子ども食堂の写真が目に飛び込んできた。
今度、何か一緒にコラボしましょうとオーナーさん。
はい!と言いました😊

無駄ではない

母子家庭で育ち、再婚した父とも折り合いが悪く、新聞配達の毎日で自由なんてありませんでした。

遊びに行くこともできない青春時代を過ごしたせいか、こんな変てこりんな性格になってしまったのかもしれません。

あの人は敵か味方か。

傷つかないように自分を守り、人間不信になってしまいます。

本当は人を信じたいのに、傷つくのが怖い。

子どもの頃、本来なら守ってくれるはずの大人との関係で苦労すると、

「誰を信じていいのかわからない」

そんな感覚が残るのでしょう。

しかし今、八王子で、

「住職だから」ではなく、

「まこっちゃんだから一緒に飲もう」

と言ってくださるご近所さんがいます。

親鸞聖人も、自分を立派な人間として語られたのではなく、

「愚禿親鸞」

と名乗られました。

平野修先生の

「あいつは嫌い
これは駄目
あいつは困る
こいつはいいと
切り続ける
私はどうも
ハサミのようだ」

という言葉を思い出します。

あの人が悪い、この人が良いと切り分けているのは、私自身でした。

まずは、

「私はハサミのようだなぁ」

と気づかされるところから始まるのでしょう。

ずいぶん遠回りしてるな〜。

その経験が無駄ではなかったと言い切れるほど立派ではありません。

それでも、

「あの遠回りも、今の私も無駄ではなかった」

と頷ける人間に、そういうものに私はなりたい。

まだ頷けない私がいるから。

遠回り

中学1年から高校3年までの新聞配達。

バンド活動をしながらの様々なアルバイト。

東京ドーム何個分では測れないくらい遠回りをしてきました。

経験値が上がったかどうかはわかりません。

けれども、寺とは無縁のところから、さまざまな苦労や回り道を経て、今日まで歩んできました。

今はまだ、その意味が分からない事もあります。

それでも、いつの日か、

「あの経験も無駄ではなかった」

と頷けるようになりたいと思います🙏

研修会

一泊二日の研修が終わりました。

留守番してくれた、坊守と仲間に感謝🙏😹

テーマ「依りどころと方向」

答えはすでに出ている。しかし、答えから問いを学ぶって難しいですね。

少しだけ進むべき方向性が見えてきました🙏

スマホ教室

台風🌀6号(チャンミー)で、今日は予定が軒並みキャンセルに。

願入寺を会場にした初スマホ教室、昨日で良かったですね😊

寺子屋〜ひよこ〜がお繋ぎ致しますので、お気軽にお問い合わせください🙏😌

皆さまくれぐれもお気をつけてお過ごしください🙇

国立ハンセン病資料館

国立ハンセン病資料館へ行ってきました。
恥ずかしながら、初めての来館でした。
呼び方も国立を東村山市なのにくにたち?って思うあり様。

玉光先生は、
「人間回復」しなければならないのは、実に私たちの側、非らい者の側であるといわねばならないだろう。つまり「人間回復の橋」とは、らい(ハンセン病)の患者さんたちと人間として出会ってこなかったことによって、自らの人間を喪失していた私たちが、患者さんたちとの交流によって「人間回復」をはたそうとする橋なのである。」

と、言われております。

私は健常者と思っていますが、果たして健常者なのか?

私は在家出身です。
お寺出身ではないというコンプレックスがあります。
寺族に対する負い目です。
開教所の問題もそう。
ジェンダー問題もそう。坊守のお勤めは今回はちょっと…と言われ悲しくなったり。
しかし、私は時には寺族ではないと言うコンプレックスを主張し、時には在家出身を主張して、時と場合によって使い分けてるなと思う時があります。
差別したり、されたりする問題の根底にあるものは一緒だと思います。
解決出来ない問題を抱えて、モヤモヤしながら歩んで行こうと思います。

社会科見学に来ていたたくさんの小学生と混じりながら、1人のおじさんもまた、人間回復の途中なのだなと考えさせられました。

説明の大切さ

式次第を説明しながらのお勤めは久しぶりでした。

以前はよくしていたのですが、限られた時間の中で、いつしか出来なくなっていました。

ご参列の皆さまからすれば、

「今、何のお勤めをしているのだろう?」

と分からないまま時間だけが過ぎていく…

それが、どこか心苦しく思っていました。

「40分以内でお願いします」と言われる中、

「なぜ今この勤行をしているのか」
「葬儀全体がどういう構成になっているのか」

を丁寧にお伝えする機会そのものが少なくなっているように感じます。

限られた時間の中で、お勤めをして、法話をして、退場して…。法話は無しでと言われることも…

だから、
僧侶自身も目の前のお勤めをこなすことに精一杯になり、
気が付けば、次へ次へと流されていく。

説明をしなくても葬儀は進行します。
だからこそ、説明する力そのものが失われてしまう危うさを感じています。

そんな中、今日は、

「お勤めの説明もしてください」

「法話もしてください」

と、最初から時間に余裕を持った進行を組んでくださいました。

おかげで慌てることなく、お勤めの意味や構成をお伝えすることができました。

ご遺族の大切なお別れの時間。

単なる進行説明ではなく、

「今、どの場面に立っているのか」

を参列者と共有する大切な仕事だったんだと思います🙏

その時間を大切にしようとしてくださっていることが有難く感じられた一日でした🙏

本来は別々の場面だったものを、一つの会場、一つの時間枠に押し込んでいる。

だから説明が必要になるし、説明しなければ何をしているのか分からなくなるのですね🙏🙇

恩師の、坊主は詐欺師より悪いと言う言葉が響いて参ります。

有難う

ゔ〜眠い

コーヒー☕︎ブレイク

自分にご馳走さまカード

そして、目薬にもご馳走さまカード

普通は、
「コーヒー飲んだら終わり」
「目薬をさしたら終わり」

豆を育てた人、
運んだ人、
販売した人、

目薬は、

作った人、
研究した人、
届けた人、

そういうたくさんのご縁に向けた「ありがとう」

目がシャキッとする

坊守もメッセージカードを置こう活動をちゃんとしてるようです‼️