ゆるキャラ

小さな寺子屋〜ひよこ〜のロゴとゆるキャラのニッパチくん。かれこれ、誕生してから約半年。あまり日の目を見る機会がないので、ちょいちょい出して行こうと思います。

不安に立つ

安田先生は、

「本願の智慧が“不安”という形で人間に来ているんです。不安が如来なんですわ」

とおっしゃっています。

その言葉を読んだとき、まさに自分自身のことを語られているように感じました。

坊さんをやめることもできない。

かといって、坊さんとしての自信があるわけでもない。

このまま続けていけるのか。

将来どうなるのか。

そんな不安の中に立っている自分がいます。

宗祖親鸞聖人に向き合うということは、

不安を消して強くなることではなく、

不安に立って歩まれた宗祖の姿に、

自分の生きる姿勢を学ぶことなのだと思います。

宗祖に会うとは、

自分に会うということ。

今、私はどういう在り方をしているのか。

どういう生き方をしているのか。

そこに目を覚まさせるはたらきが、

願であり、仏である。

だから、仏教は結果を問わない。今が全てで結果であるから。

今、この身をどう生きているのか。

その事実に目を覚ましていく教えなのだと思います。

命が文句を言っているわけではない。

心臓が文句を言っているわけでもない。

それなのに私は、

与えられている事実に気づかず、

足りないものばかりを見て、

不安を悪いものとして遠ざけようとしている。

けれど、

その不安こそが、

私を呼び覚まそうとしているのかもしれません。

不安が如来なんですわ。

この言葉の前に、

今日もまた立たされています。

何で死ぬのだろう

検視の結果CTから心タンポナーゼだったと…

自◯ではなく良かった…

だからこそ、

「だったらなおさら、どうして…」

「普通に戻ってくるはずだったのに」

という思いが強くなる…

「なんで人って死ぬんだろうね――」。父親を亡くした友人が私に問いかけてきました。突然のことで言葉に詰まってしまい、しばらくのあいだ沈黙が続きました。仏教を学んでいる私であれば、何か答えてくれるかもしれない。友人はそう思ったのかもしれません。しかし、友人が期待していたようには答えることができませんでした。
生まれてきたものは死んでいかなければならない。そのことは知識としては知っています。しかし、いざ悲しみのなかにいる友人から「なぜ人は死ぬのか」と問われて、生まれてきたからだと返答することは、知識を答えるものであっても、友人の問いを満足させる答えではありません。二人の間にある沈黙だけが、その問いの答えを知っているかのようでした。
ときに人は、問うてみても答えようのないことを問わずにおれないときがあります。とりわけ愛する人との別れは、頭でわかっていても「なぜなんだ」と、その死を問わずにはおれません。私たちは人間である以上、必ずこの別れの悲しみに立ち尽くさざるを得ないのでしょう。人間には、どのような知識をもってしてでも間に合わないことがあります。
人間であるがゆえに避けることのできない悲しみを誰しもが持つ。それは〈人間であることの悲しみ〉と言えます。別離による〈人間の悲しみ〉の底には、〈人間であることの悲しみ〉が流れています。
阿弥陀仏の大悲は、人間であるがゆえに誰もが持たざるを得ない悲しみのうえにかけられているものです。私たちは、日々の生活の中で、自分の思いではどうしてみようもない悲しみややるせなさを抱えて、ときにそれを隠したり押さえつけたりして生きています。しかし、その人知れず流す悲しみの涙に、静かな眼差しを向けている大悲の心があります。それは人間であることの悲しみを知り、その悲しみを共にしようとする仏の心です。私たちの悲しみや涙は、仏の大いなる悲しみに出遇う場でもあります。
人は何に救われるのか。「がんばりなよ」の励ましの言葉もありがたいけれども、それは流れる涙を乾かしていかなければなりません。しかし乾ききらない涙があることも、また事実です。かえってその涙の悲しみを知り、共感共苦しようとする心に触れることによって、この涙は居場所を得ていくものではないでしょうか。
友人が悲しみのなかから発した「なぜ人は死ぬのか」との問いかけは、いまなお、人間であることの悲しみをもつ私であることを知らされ、そして乾くことのない涙の居場所を教えてくれています。
 
藤井 眞翔(ふじい・まこと)長崎県/西光寺

小浜へ

今年は、みんなで本山へお参り行って、小浜へ行こうと計画しております🙏😌✨楽しみです

サバ缶、宇宙へ行く

昨日、お姉さんからいただいたサバ缶。

正直、もったいなくて開けられない。

このサバ缶は、
福井・小浜の高校生たちが
15年という歳月をかけて開発した「宇宙鯖缶」。

実際に宇宙食として認証され、
その味を、私たちが地上でいただける。

しかもこれは、
坊守のお祖父さんが立ち上げた水産会社のもの。

ただの缶詰じゃない。
ご縁の詰まった一缶です。

本当は、
こういうものほど食べるべきなんだと思う。

いただくことで、
初めて完成する

でも、まだ開けられない。

「いただきます」って、
ちょっと覚悟がいる言葉だなと思いました。

いつか“ここぞ”という日に。

その時は、ちゃんと味わいます🙏✨

月島のお姉さん

昨日、居ても立っても居られず。
月島へ。

正直、
何を食べても飲んでも変わらない。

気分なんて、
そんな簡単に治らない。

「大丈夫」って言う人ほど、
だいたい無理してる。

でも——

一人で抱えてるより、

誰かといる。

それだけで、十分。

人は、
一人で強くなれるほど、
できてない。

だからせめて、
一人で抱えなくていい場所が、
どこかにあればいい。

ふらっと来て、
何も話さなくてもいい。

ただ座ってるだけでもいい。

そんな場所でありたいと、
思っています。

🍺🙏

26回目のニッパチの日

今日は、まだ気持ちの整理がつかない中での開催となりました。

それでも、3ヶ月連続で聴聞に来てくださったSさん。
ゴールデンウィークにも関わらず足を運んでくださり、本当に有難う御座いました。
いつも質問や近況を聞かせていただき、こちらこそ勉強させていただいております。

そして、日頃より大変お世話になっている先生もお越しくださり、
「一人じゃない状態」にしていただいたことが、どれほど大きな支えになったか分かりません。

皆さんお一人おひとりのおかげで、
共に御同朋として、26回目のニッパチの日を無事に勤めることができました。

子ども食堂も7名+2名。
「また来月も楽しみにしています」と言っていただけたことが、とても嬉しかったです。

いろいろな思いがある中で、
「ニッパチの日に行きたい」と話してくれていた先輩の願いは、叶わなくなってしまいました。

静かになった本堂で、今日一日を振り返ると——

もしその先輩が見ていたら、
きっとこう言ってくれる気がします。

「ちゃんとやってるな」と。

僕もその時が来たら、
今度は電話ではなく、直接たくさんの思い出話をしましょう。

本当にお世話になりました。
心より感謝申し上げます。

くらべず、あせらず、あきらめず。
自分らしく、これからも歩んでまいります。

ps .ちょっと写真と違うスティッキオは突っ込まないでください😉✨
本のご寄付、すずらんの花、お供物、有難う御座いました🙏😌

26回目のニッパチの日

今日も、何ごとも無かったように朝が来ました。
そして、何ごとも無かったように、いつも通りの子どもたちの元気の良い挨拶。
そして、いつも通りではない、OLさんが後ろからの挨拶にびっくり。

阿弥陀さんは何も言わずにただ黙って立っておられます。

法話会&子ども食堂頑張ります🙏

このどうしようもない私を、
そのまま引き受けて生きていく。

強くなるためでも、
誰かに勝つためでもない。

そこにしか、
念仏に育てられる道はないのだと思います。

ニッパチの日お待ちしております🙏🙇

一体何が…

何があったのか…

お母様の通夜葬で帰省していた先輩の訃報…

悲しすぎる…

懐かしい同郷の話しでついつい長電話の時間が大好きでした。

雅楽の先生でもあり、僧侶としての相談相手でもあり、お兄さん的存在でもあり…

これからどうすれば良いか

ニッパチの日

子ども食堂の情報をシェアします♪

4月28日ぜひお越しくださいお待ちしております😌🙏✨

小さな寺子屋~ひよこ〜子ども食堂です。明日4/28の子ども食堂のメニューは
しょうが焼き丼
(春菊とタァツァイのナムル乗せ)
※チンゲン菜の味噌汁
リーフレタスのさっぱりサラダ
どなたでもご気軽にお越し下さい。お待ちしてます
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小さな寺子屋〜ひよこ〜子ども食堂
八王子市中野上町4丁目32-1願入寺
042-404-2080
ホームページ:
小さな寺子屋ひよこ
https://terakoya-hiyoko.studio.site/
毎月28日
16時~18時
(17時半入場まで)
こども無料
大人(18歳以上)300円
※現金のみ
20食限定 無くなり次第終了
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※ボランティア(調理・片付け・読み聞かせ等の交流など)
※食材提供
※絵本・おもちゃ提供
※ご寄付
ご協力いただける方はDMにてご連絡ください&
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※ご寄付は以下へお願いいたします。
多摩用金庫
店名中野支店(店番069)
預金種目普通
口座番号 0407001
名義小さな寺子屋ひよこ