今日はお寺で御門徒さんのご法事。
お孫さんがドラマーで、おじいちゃんおばあちゃんも喜んでいると思います🙏😌✨

住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
今日はお寺で御門徒さんのご法事。
お孫さんがドラマーで、おじいちゃんおばあちゃんも喜んでいると思います🙏😌✨
今月もお待ちしております🙏😌
13時から盂蘭盆会法要もありますので、どうぞお参り下さい🙏✨
南無阿弥陀仏
坂東報恩寺様で25年ぶりに雅楽のお稽古をさせていただきました。やはり龍笛は難しい〜😹
思い通りにせずにはおかないという思いが苦しい。
思い通りになっても悩むし、思い通りにいかなくても悩む。
お金があっても悩むし、無くても悩む。
健康でも悩むし、病気でも悩む。
食べても悩むし、食べなくても悩む。
猫に悩みはあるのかな。
悩みが無くなったら、何を頼りにして生きていけば良いかわからなくなるから、悩みは恵み。
知識を身につけた賢い大人が悩み苦しみ迷っている。
「先日、火の玉を見た」と妻が言った。
猫は、火の玉を見ても何も思わないであろう。
「火の玉」は怖いというイメージに悩まされているのである。
火の玉ではなく、蛍の光かもしれない。
漢字の意味を覚えれば覚えるほど、自分勝手なイメージによって迷う。
人は言葉によって迷う。しかし、言葉によって目覚める。迷っていることに目覚める。
こんな私を助けてください。お願いします。
しかし、阿弥陀さんは何もしてくれません。
「罪悪重深煩悩具足の凡夫よ」
としか言いません。そして、我が名を称えよと。
つまり、何をしても助からない救われないという自覚が救いなのだと。
助かってしまっては元も子もないないのです。
南無阿弥陀仏
私の先輩は、仏教を学ぶことを高速道路のパーキングエリアに例えて説明していらっしゃいました。高速道路は一般道で行くより速いスピードで目的地に着くことができます。これは現代の私たちの生活とよく似ています。日々の生活に追われ、毎日が時間との戦いで、ギアをトップにし、フルスピードで進んでいます。しかし、このような生活を続けていくと、当然身体は疲労し、時には道を間違って、異なった所に行ってしまうかもしれません。このようなことがないように高速道路にはパーキングエリアがあり、目的地によりよく行けるため、身体を休め、心を整え、現在地を確認できるのです。お釈迦様の教えに出会う場所の一つがお寺であります。お寺とは元々、サンスクリット語でビハーラといい、これは休養を意味しています。忙しく、目的がわからずさまよっている現代人にとって、お寺というパーキングエリアで休養し、心を整えることは大切なことであります。また、お寺で教えを聞くことは、自分の今立っている地点が確認でき、目的に向かってよりよく生きていくことができます。お釈迦様の教えは、自分の知識のために単に覚えたりするものではなく、自分の姿を映し出し、人生をよりよくしていくものであることを、今朝はお話しさせていただきました。(平原 晃宗/京都府 正蓮寺)
帯広別院の御門徒さんから、子ども食堂や坊主バーで豚丼を提供するなら、開拓当時の苦労も少し話しに付け加えてもらえたら嬉しいなと言われました。
令和7年7月28日(月)
お待ちしております🙏😌
南無阿弥陀仏
昨日は17回目のニッパチの日。
「聞法とは、積み重ねるものではなく、繰り返すことである」
という先輩の言葉が響いてきます。
法話会、子ども食堂、坊主バーとてんこ盛りの充実した1日でした。有難う御座いました🙏😹
提供して下さった野菜、ジュースも美味しくいただき有難う御座いました♪
豚丼も好評で嬉しかったです。(今回は子どもが少なく大人食堂になりましたが、子ども食堂は大人食堂でもあります。八王子子ども食堂マップに掲載されたのでこれからですね💡)
普段坊主バーは予約制で毎日はやってませんが、昨日は予約以外のお客さんも来られ、やはり開いていると自然と人が集まってくるのだな〜と思いました。お寺を入りやすくするのが住職の仕事だなと思いました。
入るためには毎日開けなきゃなりませんが😹
ん〜どうしようかな。また課題を一ついただきました🙏😊
南無阿弥陀仏