自称メッセージカード普及委員会会長です。世の中にメッセージカードを普及させよう運動を地道にコツコツさせていただいております😌


住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
自称メッセージカード普及委員会会長です。世の中にメッセージカードを普及させよう運動を地道にコツコツさせていただいております😌
七夕🎋の日七夕の投稿が、たまたま777になりました😄
南無阿弥陀仏
今日はお寺で御門徒さんのご法事。
お孫さんがドラマーで、おじいちゃんおばあちゃんも喜んでいると思います🙏😌✨
今月もお待ちしております🙏😌
13時から盂蘭盆会法要もありますので、どうぞお参り下さい🙏✨
南無阿弥陀仏
坂東報恩寺様で25年ぶりに雅楽のお稽古をさせていただきました。やはり龍笛は難しい〜😹
思い通りにせずにはおかないという思いが苦しい。
思い通りになっても悩むし、思い通りにいかなくても悩む。
お金があっても悩むし、無くても悩む。
健康でも悩むし、病気でも悩む。
食べても悩むし、食べなくても悩む。
猫に悩みはあるのかな。
悩みが無くなったら、何を頼りにして生きていけば良いかわからなくなるから、悩みは恵み。
知識を身につけた賢い大人が悩み苦しみ迷っている。
「先日、火の玉を見た」と妻が言った。
猫は、火の玉を見ても何も思わないであろう。
「火の玉」は怖いというイメージに悩まされているのである。
火の玉ではなく、蛍の光かもしれない。
漢字の意味を覚えれば覚えるほど、自分勝手なイメージによって迷う。
人は言葉によって迷う。しかし、言葉によって目覚める。迷っていることに目覚める。
こんな私を助けてください。お願いします。
しかし、阿弥陀さんは何もしてくれません。
「罪悪重深煩悩具足の凡夫よ」
としか言いません。そして、我が名を称えよと。
つまり、何をしても助からない救われないという自覚が救いなのだと。
助かってしまっては元も子もないないのです。
南無阿弥陀仏
私の先輩は、仏教を学ぶことを高速道路のパーキングエリアに例えて説明していらっしゃいました。高速道路は一般道で行くより速いスピードで目的地に着くことができます。これは現代の私たちの生活とよく似ています。日々の生活に追われ、毎日が時間との戦いで、ギアをトップにし、フルスピードで進んでいます。しかし、このような生活を続けていくと、当然身体は疲労し、時には道を間違って、異なった所に行ってしまうかもしれません。このようなことがないように高速道路にはパーキングエリアがあり、目的地によりよく行けるため、身体を休め、心を整え、現在地を確認できるのです。お釈迦様の教えに出会う場所の一つがお寺であります。お寺とは元々、サンスクリット語でビハーラといい、これは休養を意味しています。忙しく、目的がわからずさまよっている現代人にとって、お寺というパーキングエリアで休養し、心を整えることは大切なことであります。また、お寺で教えを聞くことは、自分の今立っている地点が確認でき、目的に向かってよりよく生きていくことができます。お釈迦様の教えは、自分の知識のために単に覚えたりするものではなく、自分の姿を映し出し、人生をよりよくしていくものであることを、今朝はお話しさせていただきました。(平原 晃宗/京都府 正蓮寺)