「メッセージカード有難う御座います。初めていただきました。」
自称メッセージカード普及促進活動推進委員会会長としては、嬉しいの一言である。
だって、自分の仕事に張り合いが出ます!と言っていたのだから。
南無阿弥陀仏

住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
「メッセージカード有難う御座います。初めていただきました。」
自称メッセージカード普及促進活動推進委員会会長としては、嬉しいの一言である。
だって、自分の仕事に張り合いが出ます!と言っていたのだから。
南無阿弥陀仏
お誘いをいただいたのですが、研鑽と言う名のお稽古なのですね。
どうしましょうめっちゃ緊張してきました。
南無阿弥陀仏
肝臓の数値は悪くありませんが、
今日から、1週間の禁酒生活。何故かはご想像にお任せします♪
なんか病院食みたい…
致し方ありませんね。妻は病院の管理栄養士ですから…
いただき物のブンタンをデザートに、なんて健康的にお夕飯なんでしょう。
ご馳走さまでした🙏
と、思ったら坊主バーの予約のTELが。
食べ歩きYouTuberの芸能人の人みたい。
ま、まだ先だからいっか😉✨
南無阿弥陀仏
2020年から参加させていただいている、竹中選集輪読会。
ちょうどコロナが流行り出した頃で、zoomでの月一開催でした。
なんと、今日から会所は円照寺さんで対面の勉強会再開のお知らせ。
なかなか、zoomでも参加出来ておらず、対面だと尚更。浅草まで遠いのを言い訳にして、益々、勉強会が遠のいていくような気持ちが…
zoomがいいのか悪いのかわからなくなってきました😹
先生に会いたいな
南無阿弥陀仏
宮殿が届きました。
少し小さくなっちゃったけど、阿弥陀さんのお顔が見えて良かったなと思います🙏😌
南無阿弥陀仏
御華束のお下がり。
帰宅するとご近所さんが、お餅をついてくれて持ってきてくださいました。昨日はお餅の日でしたね😊有難う御座いました🙏😌✨
南無阿弥陀仏
開教者会報恩講御満座、願入寺から御門徒さん1名のお参りをいただき、坊守共々3名でお参りさせていただきました。ある意味での挑戦でした。
南無阿弥陀仏
初めて代香をさせていただきました。
南無阿弥陀仏
開教者会報恩講お逮夜
南無阿弥陀仏
私たちはみんな幸せを求めて一生懸命生きております。
しかし、日本において2023年はなんと2300人の方が餓死しております。(厚生労働省人口動態調査)
もうお亡くなりになりましたが、大谷派の先生で宮城しずかと言う先生がおられます。先生は京都市内のお寺に生まれました。京都市内の終戦後の食料不足は大変だったそうです。6人家族の3日間の野菜の配給が芋づる15本だけで、主食ももちろんお米ではなく、進駐軍の放出物質の缶詰めが一つ当たるだけです。家で中を開けてみると、石鹸のような小さなものが臭い匂をしている。この石鹸を食べて過ごせというのかという思いで、それはいったい何だったかというと、チーズだったそうです。チーズはその頃まったく見たことも食べたこともありませんから、そんなものを一缶もらって6人家族がどうして食べていくんだと。
そういう中をお母さんがいろいろ苦労して、食べ盛りの子ども達のいのちを繋いでくれたそうです。
ただそのときに思い知らされたことは、一日の中でいちばん空腹なときというのは食後だと言われました。食事を終わって箸を置くときの空腹感。身体の上からいえば食べる前がいちばん空いているわけですが、しかし、そのときはまだ希望がある。もうじき、ちょっとでも食べれると。母親が茶碗を洗ったり、ちゃぶ台に茶碗を置いたりする音が聞こえたりすると、もうお腹がぴっこんとすると。食べ終わるといっても、ほんとうのちょこっとですから、満腹なんてとても遠い話です。
ですから箸を置くときに、これで次の食事の時間まで何も食べれないんだと思うと、そのときに絶望的な空腹感を味わうのですと。人間はこころで生きている存在なんですと。
食事の前が肉体的にはいちばん空いているはずだけれど希望がある。だけど希望がなくなって次までと思うと途端にがくっとくる。そういうことも味わって来られたので、テレビでときどき大食い競争をやっていて、いくつものお寿司を頭を抱えながら食べている。ああいうことを見ると無性に腹が立つと仰っておりました。
日本と言う国は1日に輸入する量より、食べきれなくて捨てている量の方が多い変わった国です。
今は、グルメインフルエンサーの活躍もあり、毎日美味しい人気のお店の情報が簡単に手に入り、食べ物が溢れている裏では、食べたくても食べられなくて毎日6.3人の方が命を落としております。
しかし、食べなくても死ぬけど食べても死にます。
生きるとは何か。何のために食べるのか。生きるとは何かがはっきりしなければ、何のために食べるのかわけがわからないまま命終わっていくことになります。合掌