帯広別院の御門徒さんから、子ども食堂や坊主バーで豚丼を提供するなら、開拓当時の苦労も少し話しに付け加えてもらえたら嬉しいなと言われました。
盂蘭盆会法要
令和7年7月28日(月)13時より
どなた様もお待ちしております🙏😌
南無阿弥陀仏

17回目
昨日は17回目のニッパチの日。
「聞法とは、積み重ねるものではなく、繰り返すことである」
という先輩の言葉が響いてきます。
法話会、子ども食堂、坊主バーとてんこ盛りの充実した1日でした。有難う御座いました🙏😹
提供して下さった野菜、ジュースも美味しくいただき有難う御座いました♪
豚丼も好評で嬉しかったです。(今回は子どもが少なく大人食堂になりましたが、子ども食堂は大人食堂でもあります。八王子子ども食堂マップに掲載されたのでこれからですね💡)
普段坊主バーは予約制で毎日はやってませんが、昨日は予約以外のお客さんも来られ、やはり開いていると自然と人が集まってくるのだな〜と思いました。お寺を入りやすくするのが住職の仕事だなと思いました。
入るためには毎日開けなきゃなりませんが😹
ん〜どうしようかな。また課題を一ついただきました🙏😊
南無阿弥陀仏










ひよこの歌
ひよこの歌を作ってみた(AIで笑)
「ひよこの歌」
小さな寺子屋は、優しい場所
ひよこたちが集まる、笑顔の子
毎月28日に食堂を開く
温かい食事で心も満たす
地域の絆を大切に
共に支え合う思いを
ひよこの歌よ、響けこの街に
お腹をすかせた、その声を聞け
繋がろう、共に温もりを
明日へ行こう、未来へ飛ぼう
誰かのために、手を差し伸べ
孤独を忘れて、繋がる笑顔
駆け込み寺として、力になれれば
小さな勇気を、届けたいんだ
みんなで築く、未来のため
心の食堂、開こうぜ!
ひよこの歌よ、響けこの街に
お腹をすかせた、その声を聞け
繋がろう、共に温もりを
明日へ行こう、未来へ飛ぼう
小さな寺子屋、希望の光
ともに歩こう、手を取り合って
6月のニッパチの日
今月もニッパチの日が近づいてまいりました。
13時〜15時 お勤め(今月は3名のご寄付をいただいた方のお勤めもさせていただきます)、お勤め後住職の法話
16時〜子ども食堂(メニューは豚丼&サラダ🥗)
19時〜坊主バー(ご予約いただいております)
今月から、企業様からお野菜の提供があります。
こんなに沢山有難う御座います🙏😌
ぜひ、皆さまお誘い合わせの上お待ちしております🙏😌
※子ども食堂では食べきれないので、当日お渡しも出来ます。無農薬の春菊は生でも食べられてめっちゃ美味しいです♪




八王子ボランティアセンター
早速子ども食堂に使わせていただきます♪
有難う御座いました😌✨






お寺とは、住職とは
先日、地元の小学校の子どもたちがお寺に来てくれた。地域の気になる場所をいくつかピックアップし、グループに分かれてその場所を訪ねる、「町たんけん」授業だ。お寺の由緒や歴史から始まり、普段どんなことをしているのかといった質問を受けながら楽しいひと時を過ごした。
子どもたちからの色々な問いに答えているうちに、本山の修練で教わった金子大栄先生による住職の心得を思い起こした。それは、お寺に住まいする者にとって大切なことを順々に説くものである。
五か条あって順番に、一に早起き。二に掃除、三にお勤め、四に勉強、最後に法話だったと記憶する。
先師が教えるのは、聞法とは生活の一部の作業というようなものではなく、生活を基礎づけ、その人の生活全体の表現に直結する営みであるということだ。
冒頭に述べた「町たんけん」授業の後、小学生たちからお礼の手紙を受け取った。その一つには次のように書かれていた。
お寺を見せてくれてありがとうございます。お寺に鐘や畑があるなんてびっくりしました。これからもお寺の先生(阿弥陀さま)のため、そうじをがんばってください。ぼくもいつか手伝いにいきます。
授業の最後、小学生たちは、お寺の鐘を一人ずつ撞いた。そのどれもが、素直でまっすぐな響きで思わず合掌。ピカピカの子どもたちのおかげで、あらためて聞法の原点に還らせてもらいつつ、一期一会の出遇いを味わわせていただいている。
(聖台寺 澁谷真明住職)
八王子ボランティアセンター
八王子市社会福祉協議会ボランティアセンターより、農協果肉ジュースが、小さな寺子屋~ひよこ~にりんご10本なし20本が提供されます♪
有難う御座います🙏😌

どうせ
どうせ
浜までは海女も蓑着る時雨かな。(江戸時代の俳人滝瓢水の句)
海に入っても濡れてしまうのに蓑を着る海女さんの姿に共感する内容です。
海女さんが浜を歩く様子を表現しており、雨に濡れないように蓑を着ている様子が描かれています。海に入ればすぐに濡れてしまうため、どうせ濡れるのに蓑を着るなんて思う人もいるかもしれません。
しかし、この句では、自分の身体をいたわる海女さんの姿に共感し、海女さんの気持ちになってみる様子が表現されています。
「どうせ死ぬのに」と言った言葉を口にしている限りは幸せにはなれない。
この句にある「浜まで」を「死ぬまで」と置き換えたい。
「どうせ」は生きている限りは禁句であろう。まして子ども食堂をや。
南無阿弥陀仏

「今、いのちがあなたを生きている」
「今、いのちがあなたを生きている」のテーマに沿ってお話をしています。
こんな話を聞いたことがあります。南極観測隊に従事する越冬隊員の青年に奥様から1通の手紙が届きました。周りの隊員は彼をはやし立てたそうです。彼も期待しながら手紙を開きました。近況報告などをたくさん書いてくれるものだと思っていました。しかし文面はたった1言「あ・な・た」でした。彼の期待以上のものでした。凍てつく氷の世界の中で温かさが彼をつつみました。文字に感情はありません。しかし2人の関係性が言葉に感情を運ぶのです。
「あなた」という呼びかけに温かさを感じるなら、そこにすでに存在が感じられます。遠く離れていても存在を感じることがあるならば、とても近くに、すぐそばにいます。それが「あなた」という言葉の響き、存在感でしょう。文字が声に聞こえた瞬間でした。このテーマの「あなた」もまた親しく語りかけてくる言葉と言えます。
話された言葉は聞くことを通して存在を感じさせますが、書かれた言葉、文字は存在を切り離すことがあります。文字のない社会では話し言葉は存在と1つでした。文字社会はむしろ言葉は道具となり、抽象化し、存在と存在を切り裂きます。差別やいじめが言葉によることが多いのも、言葉が簡単に道具になるからでしょう。 私は今、北海道に住んでいます。最近、アイヌ民族の方とお会いする機会が多くあります。北海道でアイヌの方と僧侶とで共同で学習会を開いています。アイヌという言葉はもともと「人間」を意味する言葉です。
しかし歴史の中で差別語になってしまいました。存在をあらわす言葉が差別語になることほどきついことはありません。逃げることができないからです。例えば日本語の「ニンゲン」という言葉が差別語になったら、私たちはどう思うでしょうか。
現代社会は能力のあるかないかで人を見ていくような傾向がみられます。役に立つか立たないかです。役に立たなくなると見捨てられていきます。誰もがいつかはそういう自分になるとは思ってもいません。ものさしが他人に向いているときはのんきに構えていますが、ものさしが自分を計る道具に変わったとき、「こんなはずでなかった」とか「もうだめになった」とかうめくように叫びます。役に立つか立たないかのものさしが自分を計った結果です。けれどもものさしを手放すということを知りません。
孤独という言葉があります。元々は中国の孟子の「孤児独老」という言葉があって、そこから生まれてきたそうです。これはみなしごと見捨てられた老人という意味です。孤児の弧、独老の独をあわせて孤独という言葉になります。象徴的に表現された言葉ですが、現代という時代をよくあらわしている言葉です。家庭が崩壊して精神的な孤児が生まれ、一生の最後にひとりぼっちになる老人が増えています。信頼すべき場所がなく、また長い間の苦労が少しも評価されず、誰にも顧みられなくなるという状況が「孤児独老」という言葉で表されているのでしょう。「あなた」と親しく呼ばれることのない世界です。しかしそういう世界だからこそ、『今、いのちがあなたを生きている』というテーマは「あなた」と親しく呼びかけているのでしょう。私はあなたのそばにいます、どうか私の存在に気がついてください、と。自分さえも見捨てていく私たちに、親しい存在の声として愛情を運びながら、もう1度、孤独の中から救い出そうとしている。それが「あなたを」という目的語が使われている意味ではないでしょうか。名畑 格(北海道 名願寺)

