現代に生きている我々として、共通の問題がある。迷うのは当たり前のことである。この時代に生まれていると、迷わざるを得ぬ。しかし、迷いかたが不真面目でなく、真剣に迷う。その場所として相応学舎がある。迷いを逃避せずに、予定したものから逃げて傍観することなく、まじめに迷う。個人個人が現代を表現している。見えるものは顔しか見えないが、見えないものがそこに表現されてある。おおげさな実践を持ち出すまでもなく、一杯の水を飲むということの中にもそれが表現されている。つまり、真に現代人になること、これが菩薩である。