孤独担当相、設置はしたけれど 問われる政権の本気度

「先日、精神科の先生である斎藤(さとる)さんの「家族という名の孤独」という本を読まさせてもらいました。斉藤さんは二十世紀の後半は人がこの世にあって、苦しみや悩みから抜けだし、いかに合理的で快適な生活ができるかを目標に猛進してきたという。しかし「悩みは恵み」という言葉があって、悩みこそが人に成長をもたらすと思うので、周囲の悩んでいる人々には「おめでとう」と言うという。

  人がこの世にあって、そんなにはしゃいで過ごせるわけはない。いつの間にか寂しさを抱えて生きるという苦痛を否認し、目前の仕事や名誉やセックスや金儲けを追及してきた。世紀末の今、「酔いから覚醒」への動きが人々の間で除々に明瞭になっているように思われるという。~中略~

  人は少々ブルーな気分で、適度の寂しさを抱えながら生きるのがいいという。そんな日々の中でこそ、もう一人の人との出会いが、何ものにも代えがたい温もりになるし、道端の緑の芽吹きに奇跡を感じることができるようになる。家族に包まれることは恵みだが、家族の温もりに酔うのは危険である。人は人の群れの中で、真の孤独を感じる。そしてその孤独の痛みが他人との関係を大切にさせるのであるというのである。覚醒に伴う苦痛から逃れるために新たな酔いを求めるのでなく、寂しさを抱えながら孤独の痛みがあるからこそ、他人との関係が大切になるという。お念仏は人が人になる行、慙愧を懐ける人が生まれてくるのがお念仏であります。」

                       (「東別院だより」H10.10月 名畑龍童前輪番)