帰命とは

「帰命」とは阿弥陀さまを敬(うやま)い信じて順(したが)うということです。私たちは、阿弥陀さまを信じているようで実は自分を信じているのです。その証拠に自分中心の物差しを拠り所とし、その物差しによって人と人との関係を断ち切り、思い通りにならなければ不平不満や愚痴を言い、こんなはずではなかったと過去に後悔、今に不満、未来に不安を抱え人生を空しく生きています。そんな私の姿を哀れみ悲しんで、人と比べる必要のないありのままの真実の世界に目を覚ましてほしいという阿弥陀さまの慈悲のおこころを敬(うやま)い信じて順(したが)うということが帰命ということです。紹介したい文章があります。
『お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸もよろこびも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい 仏様と二人連の人生 丁度よくないはずがない 丁度よいのだと聞こえた時 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏』 (大谷派常讃寺坊守、藤場美津路)
 人間の思い込みを破る無量の光に照らされて生きる時、どのような境遇にあっても自分自身を丁度よいと受け止め、人生を引き受けていける智慧と勇気を賜るのです。しかしながら、自分中心の物差しは死ぬまで捨てることはできません。だからこそ、繰り返し聞法することによって、教えに照らされながら「またやってしまった」とその都度気づかせてもらい、傲慢さが失われ謙虚さを取り戻し新たな仏道が始まるのです。阿弥陀仏に南無する(頭が下がる)時人と人との関係が温もり合い、ようやく人間らしくなるのです。それが帰命のこころであるといただいております。

胡蝶蘭

大切に育てている胡蝶蘭が2ヶ月弱経って大きくなりました🙏😊

南無阿弥陀仏

新年の法語&豊富&書初め

昨日まであった掲示板の法語が、朝見たら無くなっていました…

雪だるまさんのミカンはあったのですが…

自然に剥がれたとは考えずらいですが、道ゆく方々が見てくれている証拠と思い、新年の書初め、そして今年の抱負を込めて書かさせていただきました🙏

仏法は邪魔になるまで聞けと言われますが、中々もって…

南無阿弥陀仏

シンギュラリティ

何となくスマホを眺めていたら先輩の法話が目に飛び込んできた。いわゆる「2045年問題」が取り上げられていて、シンギュラリティともいわれているそうですが、2045年にはA.I(人工知能)が人間の知能を超えるそうです。
え?超えてなかったの?無知な僕はとっくに超えていると思っていました。スマホ1台あれば便利でなんでも出来るような時代だが、確かに言われてみればスマホ自体には感情はないし、喋りません。時々「すみません聴き取れませんでした」って喋る時もあるが。人間の知能を超えるということはコンピュータ自体が感情を持って自由に人間以上の発言、行動するということか。
そして、2045年には人間が行っている仕事のほとんどは人工知能に奪われていくとまで言われています。そんな時代の中どう生き残って行けば良いのか問題提起されています。
それは、
「これまであったものを、より強固にしていくことではなく、状況に応じてしなやかに変化していくことです。生物においても生き残ったのは、力の強い恐竜ではなく、気の小さな小動物が環境の変化に敏感に対応したことによって生き残りました。」

ん〜なるほど。そんな状況の中そんな悠長なこと言ってられるのかな。A.Iが人間の言うことを聞かなくなり、人間がA.Iの言うことを聞かなくならなくてはならなくなるかもしれない。ん?聞かなくてはならなくなるかもしれない状況の中、力ずくではなくて、空気をうまく読んで対応しなさいってことをなのかな。まさか、手塚治虫、浦沢直樹のプルートゥの漫画のような世界にはならないとは思うが、先輩が言いたいことは「激しい時代の変化の中で、動きながら変えていく。」ということだろう。まだ、来てもいない時代のことをあーだこーだ言う前に行動しなさいってことか。
そして、行動して
「失敗したことが一度もないということは、一生何もしなかったことと同じです」
という言葉を引用されていた。失敗ばかりであってもとにかく動いてみる。動きながら変えていく。まさに今の自分を言い当てられた気がしました。失敗ばかりしていたら、周りから信用を無くしてしまい、仕事も失ってしまうというのが世間の価値観で、自分も怖れているが、そんな状況の中失敗しながらでも「ぼちぼちいこか」という絵本の中に出てくるカバさんのように明るく前を向いて生きていくことが、念仏者の生活ということなのかなと思いました。
でも、A.Iばかりではなく実際に失敗ばかりして仕事失っても困るしな〜という時に興味深い記事を見つけた。

出世する人、しない人という記事だ。それには
『出世する人の特徴は、まず「仕事ができない」ということだ。』
と書かれている。
以下引用

若い頃、仕事ができる有能な人材がたくさんいたが、
こういう人は以外にも出世しない。

むしろ「大丈夫かな」と心配になった人たちのほうが
次々と要職に就いていたりする。

あらためて彼らの立ち居振る舞いを考察してみると、
「仕事ができない」というより、「できない」ことをさらけ出しているようである。自分はできないので、人にやってもらうしかなく、それを自覚するゆえか愛想がよく、まわりも思わず手を貸したくなるのである。

実際、こういう人がリーダーになると組織は活性化する。
・・・
リーダーがダメだから俺が頑張ってあげようと、優越感とともに能力以上の成果を上げたりするのである。

逆に、リーダーが「できる人」だと部下は従うしかない。
ミスを犯さないように萎縮したりするので、アイデアもリーダーの考えのミニチュアになりがち。

リーダーには統率力や決断力が必要などとよくいわれるが、
本当に大切なのは本人の能力より、人の能力を引き出す「引力」なのではないだろうか。

本来「仕事」とは他人に仕える事。「できない人」に代わってやる。できないで困っていることを解決してあげるのが仕事なのである。

「できる人」ばかりがいると、この世に仕事は発生しないわけで、そう考えると「できない」ということのほうが経済にとっても重要な要素なのだ。

「できる」というのはその先の世界が見えていないから、そう思えてしまうわけで、それは才能がないという証明なのだ」

とても本質をついたご意見です。私もリーダーシップの研修やセミナーでは、上司とて人間なのだから完璧なスーパーマンである必要はない、むしろ、弱みを開示してしまいましょう、とお話しています。

これは情しに限らず、部下の方々にとっても組織で働く上には大切なステップです。

若手や女性向けには自分の弱さをさらけ出す強さを鍛えましょうというメッセージをお話しています。それは、ドラッカーの言うように平凡をして非凡をなさしめるのが組織だからです。

「できる人」になろうという焦りが溢れる昨今ですが、「できない人」、つまりほとんど全ての普通の人こそが活躍すべきなのです。また「できない」ということを自覚するということは
伸びしろがあるともいえるのです。
前川 孝雄 (はたらく論)より

なるほど〜。昨日の卓上四季にも似たような事が書いてあったな。最近の動物園のボスザルはリーダーと呼ばれ、決められた条件の中で共存共栄を考えていて、鷲田清一さんの「今後のリーダーはしんがりであるべきだ」という言葉を紹介していた。鷲田先生の言葉は以前どこかで聴いた言葉だった。

リーダーではないし、リーダーにはなれないけれど、仕事が出来ようが出来まいがとにかく常に自分が問われ学ぶという姿勢を忘れずに今年も足を運んで聞法していきたい。

南無阿弥陀仏