親鸞聖人28日ご命日のつどい(ニッパチの日)

28日は親鸞聖人のご命日です。願入寺では毎月28日を覚えやすいく親しみを込めて西八王子に因み、ニッパチの日としてご命日のつどいの法話会を開きます。「生きるとは何か」を自分自身を通して教えにたずねるつどいです。予約などありませんので、気軽にどなた様もお参りください。

日時:毎月28日午後1から(28日が土日の場合は前日の友引の日になります)

場所:願入寺開教所(八王子中野上町4丁目32-1)中央線八王子駅もしくは西八王子駅よりバス西中野3丁目下車徒歩1分

内容:13時からお勤めを一緒にし、その後住職の法話があります。15時まで。法話後は茶話会をし普段の生活の悩みや、仏教の質問をみんなで話しあいましょう。

※法話は正信偈を中心とした勉強会になります。テキスト資料はお寺で用意します。念珠とあれば赤本を持参ください。

「ご命日のつどいについて」

真宗は聞くことに尽きると言われます。では何を聞くのでしょうか。それは自分を聞くのです。日常、私たちは自分のことは自分が一番よく知っていると言いますが、一番知らないのは自分ではないでしようか。その証拠にあなたはどうして生まれたの、どうして生きねばならないの、本当はどうなりたいのという問いを出されると、答えようがないのです。自分でありながら、自分を知らないで生きていることを迷いと言います。つまり本来の自己を見失って生きていることです。本来の自己の代わりに、思いで固めたものにすぎない自分というものを立てて、その思いで固めた自分を何とかしようと右往左往している。そういう生き方、在り方が、自分を知らない迷いなのだということを、自分の姿を通して知らされるのです。仏法が聞こえる身になるということは、特別な人間になるのではなくて、自分というものを見ていく目を頂くことです。思いで固めているだけに過ぎない自分の立場を見破って、本来の自己を回復していくことが、間法ということであり、自分の迷っている事実に気付かしめる一切のはたらきを仏法というのです。一切は仏法に出遇うためであり、仏法に出遇うとは、自分の迷いの深さの目覚めを通して、人生の無限の豊かさに目覚めていくことであります。

共に聞法させていただきましょう。合掌

南無阿弥陀仏