『人生は演劇である』

シェイクスピアは『人生は演劇である』と言われました。私たちは、ひとりひとり人生という舞台の主人公です。周りの人はみな脇役。その舞台は、悪人もいれば、正義の味方もいます。全員正義の味方だととってもつまらない舞台になりますし、悪人がいるからこそ面白い舞台が生まれるのです。お金持ちもいれば貧乏な人。女に生まれた人もいれば男に生まれた人もいます。みんなそれぞれ自分に与えられた役割なのです。その舞台の主人公として一生涯演じ切っていくというわけです。そう考えると人生あまり深刻に悩まなくてもいいのかもしれません。先日、鮫島純子さんという方が書いた書籍「なにがあっても、ありがとう」がテレビで紹介されていました。純子さんは日常生活でトイレや電気にまで「ありがとう」と言っており、過去に足を骨折した時は「足で良かった、ありがとう」、詐欺の被害にあってもありがとうと言ったそうです。嫌な事、逃げたい事、落ち込んでしまう事があるが、これから良くなると自分に言い聞かせて、新渡戸稲造の教えを6歳にして気づき89年間「ありがとう」を言い続けているといいます。本来私たちは生きていること全体にありがとうと言うべき存在なのでしょう。良くも悪くもすべてにおいてかけがえのない人生であるにも関わらず、勝った、負けた、損した得した、都合が良いとか悪いとか自分中心の解釈で生きています。しかし、生きるということは解釈を超えたことですし、死ということも解釈を超えた事実です。いのちそのものは解釈で生きているわけではありません。いのちそのものは、文句や不平不満を言わずありのままを生きています。心臓が不平不満を言ったというためしはありません。言っているのはこの私です。「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉で、初めて人と人との間に温もり合える関係が生まれます。その言葉が南無阿弥陀仏であり、往生ということなのです。法蔵菩薩が起こされた願いは浄土に往生できていないすべての人びとを救いたいという願いなのです。
この句には、法蔵菩薩が殊のほか勝れた願いを発れたことが述べられています。その願いは、実は、私たちにとってとても大切な願いなのです。合掌

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