「浄土へ生まれるいのち」

お彼岸の時節となりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、春の彼岸が近づくと寒かった冬も終わり、暖かい春が訪れます。

寒暖だけのことではありません。お彼岸は西に沈む太陽の先に浄土を感じ、浄土へ還った故人を偲び、私も浄土に迎えられる身にあることを想う「到彼岸」と言う仏教行事でもあります。

「到彼岸」とは、こちらの岸である此岸(苦しみの娑婆世界)から仏様の岸である彼岸(悟りの世界)へ阿弥陀様の願いで救われていくことを聞かせていただく仏事でもあり、如来様の本願に抱かれている身の有難さを喜ばせていただく時期でもあります。

寒い寒いと言っていても、やがて夏がやってきます。

暑い暑いと言っていても、夏は終わり、また寒い冬が訪れます。

「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。」と言われます。

ついこの間、除夜の鐘を突いて新年を迎えたばかりなのに、はやお彼岸です。

一年はあっという間に過ぎ、人の一生もあっという間に過ぎ去ります。

まさに人の一生は「諸行無常(刻々と変化し続ける)」です。

しかし、無常のいのちが、如来様のはたらきに出会ったことによって、浄土へ生まれるいのちと変わるのです。

もはやむなしく終わらぬ人生、これが浄土真宗の教えなのです。

南無阿弥陀仏

お彼岸とは

彼岸といいますと、季節を表す言葉として、あるいは墓参りのときという意味で使われる場合が多いと思います。
 もともと彼岸という言葉は、仏教行事の彼岸会が庶民化された仏教語です。その彼岸会とは春分・秋分をはさんだ七日間に仏道を修する行事をいいます。仏教徒にとっては、大切な学びの時になるわけです。
 彼岸は、お釈迦さま当時の言葉でパーラミタ(波羅蜜多)といい、それを中国では「到彼岸」と訳されました。日本語では「彼岸に到る」という意味です。
 彼岸(彼の岸)はあくまでも譬えで、阿弥陀仏の世界・浄土を意味します。また、彼岸に対し此岸(此の岸)があります。此岸は迷いの世界、人間の煩悩の世界をいいます。つまり到彼岸とは、人間の迷いの世界から阿弥陀仏の覚りの世界に到るという意味があるわけです。

 浄土真宗は、自らの力や努力で彼岸に到ろうというのではなく、自らの力や努力をあてにする計らいこそ、深い迷いであることを知らされ、我が身を突き動かすもっと大きなはたらきに目覚めさせていただく。それを彼岸に到ると説かれるわけです。
 ですから、浄土真宗の彼岸会は修行の場・時ではなく、聞法(仏さまの教えを聞く)をとおして、彼岸のこころを知らせていただいていく場・時であります。あらためて何かを準備するのでなく、日常生活を営む延長線上で、お彼岸をお迎えになられればよいかと思います。

なお、彼岸にはお墓参りがなされますが、右のように考えますと、墓参りは故人の成仏を祈る追善供養でないことが知らされます。阿弥陀仏の恩徳を讃え、私を仏様の世界に導いてくださった亡き人々(=諸仏)を讃える行為として墓参りが行われるのです。(真宗会館ホームページより)

是非、お寺にもお参りください🙏😌✨

南無阿弥陀仏