あとを頼むの声に応える

私が京都で学んでいたときに、ある人が死の恐怖ということを問題にされました。

死ぬということが恐ろしいと、どうにもならないからこそ不安でおびえると、そういった人生の素朴かつ根本的な問題を訴えられました。

それに対して狐野秀存先生が、親鸞聖人の最後のお手紙を紹介されました。日付から見ておそらく亡くなる二週間前の手紙だと推測されるのです。そこには「あとは頼む」ということが書かれているのです。

亡くなることはお手上げということです。自分の目の黒いうちは何かとやることはできますが、死に際してはもう無力としかいえません。もはや力及ばずです。親鸞聖人も同じで、そういう悩みがあったようです。それで親鸞聖人はどうされたのか。「あとを頼みます」「皆さんどうかよろしくお願いします」そのようにはっきりと託されたのです。

そういうお手紙を狐野先生は指して、あとを頼める人がいる、あとはよろしくとお願いできる人が私にはいる、これが死の恐れ不安を超える道ですよと教えられたのでした。

「あとを頼む」と言えることは信頼できる人がいる、任せられる人が側にいるということで

す。それが死の孤独や恐怖を超えさせてくれるわけです。もしそういうことが言えないとどうなるかといえば亡霊になるわけです。死んでも死にきれない存在にならざるをえない。

ですから人生に幸福や安心を与えられるかどうかは「あとを頼む」の声に応える私たちにかかっているともいえるのです。(上宮寺だよりより)

南無阿弥陀仏