開教とは

先生からの金言、目から鱗が落ちました。。。

「私も、◯◯組の◯◯寺さんに所属させてもらって開教を始めたころ、先が読めない開教事業を目の当たりにして、一時、◯◯教区内の後継者のいない寺への入寺(養子縁組)を誘われて、フラッとそちらに思いが傾きそうになった時期がありました。そんな時、◯◯から◯◯の寺に養子に入った住職(故人)から、「開教から逃げるための対象として入寺を考えているなら、大間違いだぞ!」と言われました。「入寺(養子縁組)」には、開教とは違った質のリスクと問題があり、決して楽な選択肢ではないと説明されました。
結局、抑圧や偏見が苦手な私は、たとえ先が見えなくても、夢を持って生きられる「開教」を選びました。(たとえ自分の在命中に納得する形にならなくても、開教という生き方を選んだことを、何物にも代え難い宝としていただけると確信しています)
いずれ限界を感じたら開教を諦めて他(入寺や別の生き方)の方法を考えながらの開教事業は、その態度や振る舞いに決意の欠落を周囲の門徒さんや関係者に見透かされて、様々なトラブルの元になってしまうので、自分は、開教よりも入寺した方が自分らしさを発揮できるという自覚があるのであれば、早期に判断された方が良いかと思います。」

開教についてのアドバイスに目が覚めました。

北海道時代、叔父のお寺に入寺した時、いくら親戚とはいえ、御門徒さんに認められるまで15年の月日がかかった苦労を思い出しました。

先生はいつも「開教は何物にも代え難い宝として」と挨拶されているのをお聞きしていて、ブレない信念があるのだと改めて思わさせていただいております。

今の開教所は僕にしか出来ない日本一(言い過ぎ)と自負しております。寺子屋、子ども食堂、坊主バー&ミュージックバー、シェアキッチンetc

僕は自由奔放な人間です。やりたい事を全部ぶち込んだ開教所になっております。

入寺したら出来ませんね。

食べれるか食べられないかの経済の問題を超えて、僕について来てくれる妻に苦労させたくないとの一心で目が眩んでしまいました。
妻は八王子で頑張りたいと言ってくれてます。
僕が不甲斐ないばっかりに振り回してしまって申し訳ないと思います。

「石の上にも三年」

もうすぐ二年になりますが、この先真っ暗闇の中ですが、軌道修正しながら、頑張りたいと思います。

先代が生きていたら、同じこと言われそうです。
誠!何やってるんだ!しっかりしろ!と
坊さんも辞めたかったら、今すぐ辞めろ!と言う人でした。

おじさんが守ってきた願入寺をどうにかしてしまう所でした。おじさんと出会うことが出来ました。有難うございました😭🙇