最近始まったNHKのドラマ「テミスの不確かな法廷」を観ている。主人公は(たぶん)自閉症スペクトラムの青年。彼は発達障害を隠して判事として働いている。ドラマ内では明確な病名は提示されていないけれど、それを示唆する場面が多々あり。
この主人公の障害ゆえの「こだわり」や「フラットなものの見方」が事件解決に結びついていくのだけれど、特筆すべきは主人公を演じる松山ケンイチ さんの演技。めっちゃいいんだ〜。うまい!よく研究している。なんかこの主人公を好きになっちゃう。
ドラマが秀逸なのは、「発達障害の主人公」や「逆転裁判」そのものを売りにしていないところ。主人公が自閉症スペクトラムらしきであることは設定としては重要なのだけど、ドラマの核はそこじゃないんだよね。
主人公の“特質”が浮き彫りにしているのは、日本の司法が前提にしてきた「暗黙の了解」「空気」「前例」「忖度」そのもの。主人公は「制度の側が歪んでいる」ことを、結果的に可視化してしまうフィルターとして機能している。
それともう一つ。検察が起訴したら99パーセント有罪確定、みたいな日本の司法制度のあり方そのものに問題提起をしている。日本の刑事事件って、捜査・起訴段階でほぼ勝敗が決まっている構造なんだよね。
そもそも歪んだ司法制度の場で判決を下す判事という職業って、あまり知られていない(ドラマとしなるのは初めてでは?)。今回の衆議院選挙でも「最高裁判事」の信任を問う紙も渡されたけれど、うーん、判事の善し悪しってどう決めたらいいの?って思ってきた。
このドラマを観たことで「判事」の仕事に興味がわいて、具体的な判例などAIで調べてみようと思うに至る。判事から弁護士に転職した人が「判事という仕事はやりたくない」と言っていた理由がほんのちょっとだけわかるきっかけになったかな。そーかー。こういう矛盾をいっぱい抱えていたのか……と。
三権分立……と学校で習ったけれど、そうすっきりとは分立していないんだよね。ずっと同じ政治権力が維持されていればそうなるのは、必然だろうけど、固定したもの動かすのってとっても難しい。
制度的矛盾ってのは、知らないほうが楽だ。できれば矛盾なんか観たくないし、知りたくない。考えないほうがずっと長生きできそう。制度と戦うと個人は疲弊する。これ、おばさんの実感。
人の人生を壊しても、制度は責任を問われない。制度側で関わった人たちはいつも知らんぷりだ。
どうしてそういうことが起きちゃうのか。何が問題なのか。そして、それはどうやったら、避けられるのか……について、ドラマは「物語」として答えを出している。まるっきり現実的じゃないよ、だってドラマだからね。
だけど……考える材料にはなってくれるかも。
このドラマ、きっと最後まで観ると思う。私が見てきた矛盾と、同じような場所を照らしているから。もう一度、あのいやーな感じの場所を思い出させてくれたから。希望らしきものとセットで……。
結局、わたしはまだ人間に希望がほしいんだな……。ドラマであっても。 (田口ランディ)


