地獄は克服できます
「地獄を目指していきなさい。」自殺未遂や精神衰弱、戦争など、さまざまな困難を経てノーベル文学賞を受賞したヘッセの言葉です。もちろん、続く言葉があります。「地獄は克服できるのです」。
「私がまたしても通り抜けなければならなかったこの恐ろしい空虚と静けさ、死にたくなるような心理的狭窄感、孤独感、そして疎外感、愛の欠如と絶望という、空虚な荒涼とした地獄に落ち込んだあとは、決まってなんらかの仮面がはがれ、理想が崩壊していったものである。しかし私はこのような衝撃を受けるたびごとに、結局、何かを獲得してきた。それは否定できないことである。つまり、以前より少しばかり自由になり、精神的にゆたかになり、深みを増したが、同時に孤独になり、他人に理解されないという気持ちが強まり、以前よりも他人に冷淡になったのである」。
地獄を抜け出して、また地獄に行く。自分の姿をこう告白しています。恐れることはない。強くあれ。そんなふうに聞こえます。
理想と現実とのはざまに地獄はあるのでしょう。理想が高いほど、地獄も深いのだと思いますが、だからと理想に背を向けるなとも聞こえます。
芸術家にとっては「スランプ」という恐怖もあります。それでもなさねばならないのは、使命なのか、業なのか。それも地獄ですが、その地獄の中を粘り強く行くなら、その使命なり業なりといった自我を超えたところにたどり着くように思います。
自我が消えれば、おのずと地獄も消えるでしょう。
いまさらながら、生きることは大変なことです。自分が自分である自分につきあうということが難しい。懊悩のほとんどは他人ではなく自分への対処の仕方や自分との距離なのではないかと思います。
でも、そこに人間としての喜びもあり、学びもあり、醍醐味があるのですね。
生きていこう。この生もまた大調和のための一片にして全体なのですから。