沿革

願入寺の歴史

大正13年

  • 神威の田中清次郎さんが、神威九線二一号に神威説教所を設け、初代梅野寂浄師を迎える。願入寺のはじまり。

昭和9年

  • 神威説教所は維持困難のため(火災にあう)、これを廃止し、札弦説教所を現在に建設して認可を受ける。

30年

  • 6月28日 寺号公称認可
    石川県輪島市の本家 願入寺より8代目藤岡秀賢 住職就任

31年

  • 6月18日 宗教法人成立の年月日

53年

  • 10月28日 9代目藤岡智 住職就任

平成12年

  • 国分誠 大谷派教師資格取得(釋誠願)

26年

  • 神威説教所90周年。札弦説教所80周年。

27年

  • 寺号公称60周年。

令和元年

  • 東京に本拠地を移す。
  • 10代目国分誠 願入寺 住職(代務者申請)

「人生は演劇である」

シェークスピアの有名な言葉です。

人生という舞台の主役は自分。脇役は縁ある人々。その舞台には悪役もいれば正義の味方もいる。全員正義の味方では全くつまらないお芝居になってしまいます。悪役がいるからこそ面白い劇になるのです。では自分にとっての悪役は誰かと言われると困りますが、自分が悪役になる場合もあります。つまり、みな与えられた配役を演じているということです。お金持ちに産まれれば、お金持ちの役。貧乏に産まれれば、貧乏の役。女に産まれた、男に産まれた。もっといい亭主と一緒になれば良かった。呑んだくれでどうしようもない。どうして一緒になってしまったのか。その逆もあると思います。つまりそれは全部自分に与えられた役割であり、自分が人生の主役なのです。提婆達多もわざわざ誰もしたくない悪役を演じているのだと言われた先生がいました。そして悪役を演じきったのです。悪役がいなければ舞台は成り立たないのだということを言われたのだと思います。そう考えれば、あ、この人は俺の為に悪役を演じてくれているのだと考えれば人生の問題もあまり深刻に考えなくても良いのかもしれません。

ハッピーエンドで終わる芝居はつまらない。バッドエンドで終わるからさこそ面白いと言われた方がいました。

世界の名だたる名画と言われている作品は別れで終わります(全てとは言えませんが)つまり、別れによって愛は完成するということです。究極の愛は死別ということではないのかなと思いました。

別れには生き別れもありますが…

つらい時もあります…

尊敬する先輩からの言葉

成功などということは、不幸を呼ぶものです。
成功を握り締めると、人間、煩悩と我執がより一段と身を焦がす。
泥沼のように周囲から悪臭が漂う。
南無阿弥陀仏は、川のせせらぎの如し。
上手くいっても、上手くいかなくても、ひとときのご縁。
とどめておく事はできません。 
お念仏申して、宿縁に身をまかせて生きなさい。
お念仏の聞こえるところ
阿弥陀仏まします。

法語

人生に失敗などない。成功もない。いのちそのものが不平不満を言っているわけではない。自分中心の都合を一度も疑ったことがないことが一番の人生の失敗である。