雅楽

よし、25年ぶりに雅楽を真剣にやってみようかな

1番難しいのは越天楽でした

南無阿弥陀仏

つくづく思うこと

“経験に無駄なものは無い”
ってつくづく思う。

学生時代、英語の教員を目指して勉強した。教育実習を経験して、教科を教えるだけではなく、進路、生活相談も請け負うこと、広い視野が必要と感じた。すぐに採用試験は受けず、全く違う仕事に着いた。
時は流れて39歳で栄養士になった。英語じゃなかったけど栄養学で教壇に立てた。
学んだ英語も何十年も経って病院勤務で役に立った。

栄養士の職は離れたけど経験はお寺に入っても寺子屋で再び活かされている。
いつか親の介護の役に立てばと、栄養士の学校に在学中に取得した訪問介護。
親への役には立ててないけど、今日依頼を受けた民生委員への道に繋がっているような気がする。

流されながら生きてきたけど、いろいろな事が繋がってきた。

人の目には苦労と見えるようだけど、過ぎてみるとそれは”充実”という言葉に変わるようだ。
人生の折り返し地点は過ぎたけれど、これからも目の前のことを大切にしていこうと思う。
不器用だから、それが精一杯。

そうそう、先日、お参り先での世間話の中で、じつは大学ではフランス語を勉強したくて獨協を受けたけど、ご縁なくて、、。でも栄養士で就職したのは獨協医大でした。そしていまはお坊さん。不思議です。なんて話したら、御門徒さんから、てもフランスは漢字で「仏」ですからね。ご縁ですね。
って。。
おぉ〜!そこから繋がるのか〜、、、。

伏線回収しまくりです。

遠回りでも、経験はちゃんと糧になります。   南無阿弥陀仏

民生委員

坊守が、町会長さんから民生委員を頼まれた。近所の民生委員さんが辞められるので、その後任を探しているとのことでした。
住職さんではなく、ぜひ坊守さんにと。
僕ではなく坊守にと…
住職は忙しそうだからと😅
確かに適材適所で、坊守にあってると思います😄
さすが会長さん見る目ありますね🙏
でも、坊守も忙しいのですが😹
要検討です💡

伝道講習会

東京教区伝道講習会。
事前学習会、本校、法話実習8日間の日程が終わりました。
貴重な時間を有難うございました。
これで終わりではなく始まりなんだなと思います。
南無阿弥陀仏

寺子屋

月曜日は週一の寺子屋の日。と、聞いたのは昨日こと。
「今からレジナたちが来るから」と坊守。
お寺に人が出入りするのが嬉しいと言う。
レジワンは幼稚園ではあまり馴染めてなさそう。
南インドから来て、旦那さんも一緒に日本語のお勉強。
みなそれぞれの思いがあり、それぞれ求めているものがある。言葉を超え国を超えて、集える場所がある。お寺に住んでいて良かったと思う。
南無阿弥陀仏

ピンバッジ

ピンバッジ、どれにしようか迷いに迷い熟慮に熟慮を重ねた結果、阿弥陀堂門に決定しました。何故ならば御影堂はデカ過ぎるからです😹

お菓子づくり

今日は御門徒さんが来てお菓子づくり♪

僕はお通夜で途中で抜けて食べられません😹

今後、うちのシェアキッチンでお菓子を作ってみたいと。売ったり子ども食堂で提供するのに、同じ食品衛生でも、お菓子は別なんですね🤔
賞味期限の問題で作って3日経ったお菓子を保険所に持って行って菌が繁殖してないか検査するみたいです🤔
知らなかった😊

門、聞、問、悶(門徒の門について)

よく世間では「終わり良ければ全て良し」と言う言葉を耳にします。

しかし、仏法はそれだけでは終わりではありません。

めでたし、めでたしで終われば楽なのですが、なかなかそうはいきません。自己啓発セミナーは大概そうではないでしょうか?信心を得た喜びを語り合い、良かった良かった。有り難い有り難いで歩みがストップしてしまう危険性がそこにはあります。

阿弥陀経というお経の最後に「歡喜信受 作禮而去」とあります。お釈迦様の説法を聞いたお弟子さんたちは喜び感動して、最後に頭を下げてその場から立ち去りましたと書いてあります。では、どこへ帰ったのでしょうか?自分の思い通りになる場所へ帰ったわけではありません。人間関係を生きている現場へ帰ったのです。お釈迦様の説法を聞いたからと言って信心を得て、自分の思い通りの世界になるということではありません。お釈迦様の説法を聞くということは、人間関係が切り刻まれどろどろとした場所へ、勇気を持って帰って行くことができるようになるということをお経では説かれているのです。その場を逃げ出すことなく、辛いけれども、苦しいけれども、現実を引き受けていける勇気を与えてもらうということです。それが、「歡喜信受 作禮而去」という言葉で教えられることです。そのことが私たちひとりひとりの救いであり、信心をいただくということなのではないでしょうか。

研修会が終わりスッキリして帰るのではなく、悶々としながらモヤモヤを抱えて、安心して迷っていける道をいただいていく、それが仏道です。

南無阿弥陀仏