ほとけの子

「世界で一番貧しい大統領」。本年五月に亡くなったウルグアイ元大統領ホセ・ムヒカ氏は、日本でこのように紹介された。ただ本人は「多くのものを必要とする者こそ貧しいのだ」としてその呼び名を意に介さなかったという。彼のスピーチの根底に流れる人間観は、現代日本人にも多くの気づきを与え、大きな共感をもって迎えられた。
次の一節は、彼が日本の子どもたちに向けて語ったメッセージである。
「日本にいる子どもたちよ。君たちは今、人生で最も幸せな時間にいる。経済的に価値のある人材となるための勉強ばかりして、早く大人になろうと急がないで。遊んで、遊んで、子どもでいる幸せを味わっておくれ。」
振り返って思う。私たちは「価値の高い人間(人材)」に「なる」ことに躍起になり、いつのまにか子どもたちにもそのことを求め過ぎてはいないか。「遊んで、遊んで、子どもでいる幸せを味わっておくれ」との眼差しで子どもたちを見つめる優しさを、そこに「いる」ことだけで感じる愛おしさを、どこかに忘れてしまってはいないか。
夏休み期間には「真宗本廟子ども奉仕団」・「真宗本廟中学生・高校生奉仕団」・「同朋ジュニア大会」が開催され、たくさんの小・中・高校生が同朋会館に宿泊し、色々な体験に参加してくれた。
「わたしがわたしのままに」「きみがきみのままに」だれもがみんなほとけの子さあ、いっしょにあそぼうよ
これは「真宗本廟子ども奉仕団」の趣旨文(抜粋)である。わたしをわたしのままに受け容れてくださるほとけさま。子どもたちもスタッフも、ともに「ほとけの子」であるという安心感の中で、互いの違うところを認め、尊重し、ときには面白がる。ここに「いる」自分がそのまま受け容れられるという経験。子どもたちは、真宗本廟でのひとときを通して何を感じてくれただろうか。日常の家庭・学校生活に戻った中で、何かの気づきがあっただろうか。
真宗本廟夏の風物詩ともいうべき子どもたちの弾む声が、境内のそこかしこで響いていた。(真宗10月号より)

子どもは大人になるけど、大人は何になるのでしょう?
子どもも大人もみな、ほとけの子。
いつも、妻には小学5年生みたいと言われております😹

願入寺シェアキッチン

今日は月2回の願入寺シェアキッチンの日。

ランチはあっと言う間に売り切れてしまい、私と妻の分が無くなってしまいました😹
でも、美味しい美味しいと言って食べて下さる皆様の声が何よりのご馳走になりました🙏😌✨

有難う御座いました♪
またのお越しをお待ちしております😊

お彼岸お中日

お彼岸なのに体調が悪いもんで、ご近所さんからの差し入れ😭優しい😹ありがとうございました♪🙏🙇😌✨

彼岸会

彼岸花
彼岸会が近づいて参りました。
ニッパチの日に合わせての法話会になります。
勉強しなきゃ😹🙏

暑さ寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」
残暑と言うより、残残残暑と天気予報では表見されていましたが、酷暑もようやく一息ついた頃、秋のお彼岸を迎えようとしております。
彼岸という名は、仏教の原語ではパーラミタ、訳して到彼岸ということであり、此の岸から彼の岸にわたるということです。信なきものが法を聞いて信心の彼の岸へ到るということで、人間生活の「まこと」の生活を確かめる行事です。
まことの生活とは、「驚き、感動、発見」の生活です。

「この前ご門徒の家に行きまして、小さな三つの女の子と遊んでいましたら、下から僕の顔をつくづく見上げて、女の子がどう言ったか、「おじちゃんの鼻の中に草生えとる!」
私はこんな言葉を聞くと、とても感動するんです。何と皆さん、子どもの世界は新鮮な驚きがあるじゃありませんか。我々は、「鼻の中に生えている毛は鼻毛だ」という知識で覚えています。だから何の驚きもありません、知っていますから。しかし三つになる女の子にとって、草っていうのは田んぼや道路に生えているものが草だと思って、ふっと下から見上げてみたら、鼻の中に草が生えとった、その驚きです。我々にはもうないですね。「わかっている」「知っている」ということにおいて、どれだけ新鮮な驚きがないでしょうか。
しかし、この身を外さずして教えを聞けば、無限に驚きじゃないでしょうか。
驚きの容れ物じゃないでしょうか、この身は。「仏法をたしなみそうろうひとは、大様になれども、おどろきやすきなり」(「蓮如上人御一聞書」、「真宗聖典第二版』一〇三八)という言葉が蓮如上人にありますね。新鮮な驚きです。
私は、学生時代に正親含英先生の授業を受けても、本当にお粗末なことであったんですけど、ご縁とは不思議ですね。学校を出てから初めて先生にお会いすることができました。それはもう先生の最晩年でありましたけれども、私どものお寺にも、本当にもう亡くなられる何ヶ月か前に来ていただきました。私の忘れられない先生のお一人であります。その先生から書いていただいた書が今も私の部屋の中に大事に大事に掛けてあります。「泉古水新」という言葉なんですね。泉は古く水は新しい。これは信心に証された人間のいのちを言うんじゃないでしょうか。
光を蒙った時の人間のいのちは (泉は久遠の昔から湧き出ているんだけれども、そこから溢れ出る水は一瞬一瞬新しい) と同じように、如来さまから、仏さまから、真実の教えから、よきひとから光を蒙る、呼びかけを蒙って、そこから発起していく深い頷きは、あの泉から出る一瞬一瞬の水のようにいつも新しい。「これまで」ということはないんでしょうね。いよいよこれからなんでしょうね。そうだと思うんです。
私はもう五十を過ぎました。五十を過ぎると若い時に頼りとしていたこと、喜びとしていたこと、楽しみとしていたことが、だんだん間に合わなくなります、必然的に。それが老いるということでしょう。しかし、歳をとっても歳をとっても、いよいよはっきりしてくる喜びが一つあるんじゃありませんか。これは和田稠先生も仰ったんですけどね、「人間における誰もがいただいていける、たった一つの、人間の一番深い喜びは、この身が知らされるという喜びだ」と。本当にそうだと思いますね。
聞くということが喜びなんです。「なるほど、そうか」とこの身が感ずると、身体が返事をすると、このいのちが喜びだすんですね。そういういのちを身としているのが、私は人間だと思います。
法話CD「本願に生きた念仏者」⑤『光を蒙る』(東本願寺出版)より

お彼岸は人間生活の「まこと」の生活を確かめる行事です。
それは、「まこと」ではない者同士が、真実まことを確かめて行く生活なのです。
南無阿弥陀仏

佐賀枝夏文先生は「一つが全部になってしまう」ということを話されていた。一つの悪いことから自分のしてきたこと全部が否定されたと思う心理状態という事です。

法難を生涯受けた親鸞聖人は、「この法をば信じる人もあれば、謗る人もいると、仏はすでに教えてくださっている。だから私は信じるのだ」と仰っています。
そしてまた、「どうにもならなければ、そこでの縁が尽きたと思いなさい。命をかけるまでしなくていい」とも言われています。

南無阿弥陀仏

上宮寺

上宮寺は、聖徳太子により、当初奈良において法相宗の寺として開かれたと伝えられ、わが国への仏教伝来以来の1500年近くの歴史を持っております。その後天台宗となり三河の地に移り、この地で盛んになる聖徳太子信仰の中心となっていきます。

鎌倉時代に、浄土真宗の開祖であり、聖徳太子を深く敬っていた親鸞聖人は、20年間滞在した関東から京都に帰る途中、三河の地にしばらく留まります。親鸞聖人の説く念仏の教えに触れ、この地では、これ以降浄土真宗が盛んになり、上宮寺は浄土真宗の中でも最も古い信者(門徒)集団の一つである三河門徒の中心寺院として栄えていきます。そして、上宮寺は全国に100寺以上の支院を有し、京都の本山につぐ、中本山といわれるようになっていく訳です。

江戸時代になり、三河から江戸に出て来た方々から、その上宮寺の本尊をぜひ江戸でもご開帳してほしいという声に応えて、その本尊をご開帳する寺として当寺は建立されました。本尊はやがて上宮寺に戻ることになる訳ですが、代わりに当寺の本尊として上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、800年前の鎌倉時代の作と言われ、新宿区の文化財となっております。また、上宮寺の本尊を戻す際に発見された胎仏である聖徳太子の像も当寺に保存されております。
残念ながら、上宮寺は1988年(昭和63年)に火災で伽藍、本尊とも焼失してしまいますが、現在では立派に再建されております。(龍善寺HPより)

阿弥陀さん

「どうして立ってるの?」

と、問いかけられた。

「あらゆる批判の嵐の中で、泰然自若として立つ。その揺るぎない姿にこそ、人は磁石のように惹きつけられていくのだ。」(田中角栄)

この言葉が思い起こされました。

泰然自若とは、何事にも動じず落ち着いた様子のこと。「泰然」は落ち着いた状態を指す言葉で、その人の態度や姿勢に対して使われる。「自若」は慌てない様子を指し、特に何かトラブルが起こっても慌てないさまに対して使われる。

ひとたび問題が起こると、慌てふためいて、落ち着かない自分がいるからこそ、阿弥陀様は大丈夫だよと安心して苦労していける道を教えてくださってるのだと思います🙏