九州大谷短期大学教授の宮城先生が、茶川賞受賞作家の重兼芳子さんの講演記録を紹介されておりました。「医療と宗教を考える会」での講演です。涙なしには私は読めませんでした。荒筋を申し上げますと、重兼さんは股関節脱臼で生まれ、今の時代ではすぐわかるのですが、昔のことですから発見できなかったのです。十六才の時、何回目かの手術を受け入院されていた時、ご本人に何のことわりもなしに突然大学病院の階段教室につれていかれ、沢山の青年医師の前でショートパンツー枚にされて、股関節脱臼の症例の材料にされたのです。

重兼さんは「世の中の権威ある人は人間を部品として見るのでないか?一つの目的のために、目的を遂行するためには、平気で小さな声を消していく。声なき声の人の痛みとか、悲しみを無視する。」と言われます。心に深い傷と悲しみを受けられたのです。

その後、障害をもちながら農家に嫁ぎ、子供が生まれますが、戦時中の困窮の中にあって四ケ月で死んでしまいます。権威に立って自分を物としてしか扱わなかった大学教授に対して、火葬場に勤められていた若い職員の、悲しみの絶頂にある重兼さんや赤子に対する態度が、何ともいえない優しさが溢れていることを感じられたのです。そして四ヶ月の短い赤子の人生に意味があったのかと、人間として生きることの意味をたずねられます。

人間は清く・正しく・美しくという理想を立てるけれども、人間の実存はそんな甘いものではなく、さまざまな矛盾とか、愚かなもの、暗いもの、悲しいものを持っているのだといわれます。

親鸞聖人は、「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」と自分を名告り、清く・正しく・美しく生きていくことのできない自身を悲されて

いるのです。

南無阿弥陀仏

折伏

お年賀

「本年もどうぞよろしくお願いいたします

開教寺院を開基した前住職(父親)も同じ悩みを抱えながら日々聞法生活をしていました

ある時は深刻な、うつ病になって自殺未遂したりと… 家族は振り回されて大変でしたが…

そういう父親の背中を見て育ちました

開教寺院はホントに大変だと痛感しています

今、真宗会館のココロダイアルや、

(一社)仏教情報センターでテレホン相談員として、悩む方の声を聞く機会を頂いております

仏教の教えに救いを求めている人が潜在的に多いことを実感しています

どうぞ、頑張ってください。

応援しております

創価学会は元々真宗門徒が多いので、回心させてください。笑笑

大谷派相談員が少ないので、よろしければ国分さんも参加しませんか?

2ヶ月に一回くらいです

是非とも、ご検討よろしくお願いいたします。」

わたくしでは、役不足ですね申し訳御座いません。

同朋会運動とは、

「真宗門徒に洗脳する運動ではない。イスラム教だろうが、キリスト教だろうが、創価学会だろうが、何でもいいんです。親鸞聖人の教えをいただけば、今までよりももっと自分の教えを深くいただける教えなのです。それが同朋会運動です」和田先生

とお聞きしております。

「60年近く前、時代的には創価学会の折伏行進の頃でした。全日本仏教青年会があり、各宗派の仏教青年会ができつつありました。そういう時期でしたので、同級生たちと何かしなければという思いが募り、智山青年会を結成しました」(昭和33年1月)。

その当時の住職は何をされていたのか?

真宗門徒が折伏されたと嘆いている場合ではないのではないのかな?

みんなちがってみんないい。

違うもの同士が共に救われていく道が真宗ではないか。

開教に縄張りなんてないのである。

南無阿弥陀仏

国分委子 (坊守)

管理栄養士

心不全療養指導士 

中・高校教諭一種免許(英語)

少しおっちょこちょいなとこもありますが、心優しい思いやりのある頑張り屋さん。

一生懸命すぎて空回りすることもありますが、住職より頼りになる時もあります。

錦糸町でスナックのママをしていた事もある、人生経験豊富な苦労人。

英語の教師の免許があり夢はスチュワーデスさんだったそうです。

人生何があるかわかりません。

「眠たい」の口癖がたまに傷ですが、

今年、無事得度を受け僧侶の仲間入りを果たしました。

まだまだお勤めの奮闘中。

お参りにお伺いした際は、どうぞよろしくお願い致します。

南無阿弥陀仏

みんなが「生まれてきていいよって」言ってくれて生まれてきたはずだけど…

何処へ行っても迫害され、歓迎されないから、悲しいのではない。

宮殿が木っ端微塵になったから悲しいのではない。

「立派な坊さんは沢山いるから、わざわざあなたに立派になってもらう必要はありません」

「自分の身の事実を素直に白状できる坊さんになってください」

恩師の言葉です。

どうして、妻に優しく出来ないのかな

優しく出来ないから悲しいのである

ごめんなさい、ありがとう

南無阿弥陀仏

ぼくの生まれた日

吸い込まれそうに青い空でした。

「ぼくが生まれてくるとき、どんなだったの?」半身を起こしただいすけくんが、私の視界いっぱいに顔を近づけて言いました。

「たいへんだったんだよ。みんな、大忙しだった」「大忙しだったの?ぼくのお父さんと、お母さん?」

「君のお父さんとお母さんも大忙しだった。けれど、ほかのみんなが、もっと、もっと大忙しだったんだよ」

「お父さんとお母さんだけとちがうの?」

「君のお父さんとお母さんの大忙しは、みんなに頼んでまわることだったんだ」

「頼んでまわったの?」

「頼んでまわったさ。お父さんとお母さんのところに、赤ちゃんが生まれてきます。

どうか、仲良ししてやってくださいって、みんなに頼んでまわったさ」

「みんなに?」

「みんなにさ。君より先に生まれていたみんなにだよ」

「園長すけにも?先生にも?さっちゃんにも、ひろくんにも?」

「ああ、みんなにだ。人間だけとちがうのだよ。犬さんにも猫さんにも、雀さんにも、虫さんにも、草さんや木さんにもだ」

「象さんにも?」

「そうさ。キリンさんやカバさんやライオンさんにも頼んだのさ」

「お魚さんにも?」

「頼んださ。だいすけくんが赤ちゃんになって生まれてきます。どうか、仲良ししてやってください」

「そうしたら?」

「みんな、大忙しになった」

「みんな、大忙しになったの?」

「なった、なった。たいへんな大忙しだ。会議、会議、で大忙しだ」

「会議、会議?」

「そうさ。だって、だいすけくんがどんな赤ちゃんか解らないもん。やさしい子だったらいいけれど、先に生まれているものをいじめる子かもしれないもん。いじめられたらたいへんだ。だから、一生懸命の、大忙しの会議だった」

「それでぼく、生まれたの?」

「そうだ。みんなが、生まれてきていいよって言ってくれたんだ。この赤ちゃんは、やさしい子になってくれるだろう。生きているみんなを大切にする人間になってくれるだろう。みんな、そう思ったんだ。そう思ったから、パチパチって拍手したんだ。おめでとうって、言ったんだ」

「良かった」

だいすけくんは、頭の下に手を組んで半身を倒しました。コスモスの花が揺れ、蜂の羽音が聞こえました。

本当に大切なものとは

鍵を持ったまま探したり、メンタームを懐に入れ探したり、老化かな…

でも、今まで眼鏡を忘れて出かけた事はありません。

本当に大切なものは忘れないのですね。

南無阿弥陀仏

罪福信

新聞の川柳に「不惑無理四十どころか死ぬまでも」というのがありました。よく世間でいう四十にして惑うことのな生き方をするといことでしょう。しかし、この句を投稿された方は実際はそうはいかないというのです。死ぬまで惑って、苦しんで悩む原因・もとは何であるかを教えて下さるのが仏さまのみ教えなのです。
私共の知恵は分別智、分別する知恵といいます。それは自分を立てるために、自分と他人、自分と他なるものを分ける、区別する知恵によって行動しているのです。
この分別智をよりどころとして生きる限り死ぬまで惑うのです。この分別智をよりどころとして生きる人間の在り方を親鸞聖人は罪福信と押えて下さいます。
罪というのは邪悪なるもの、不吉なるものということで、自分にとって現存者合の悪いもの、将来都合が悪くなりそうなものを排除し取りのぞこうとする信を罪だというのです。自分に都合の悪いものを取りのぞく「自」取りのぞかれる「他」を分けるのです。
取りのぞくものと取りのぞかれるもの、カのある者と力のない者、他を排除し抑圧してゆく世界を作りだす信を罪だといわれるのです。
次に福とは自分にとって妙なるもの、快よいということで、これを追い求めていく信だといわれます。これは自分に都合の良いものは人であれ、物であれ思いを叶える為ならばすべて利用しようとする信です。
この罪福信をよりどころとして生きる限り死ぬまで安らぎはありません。なぜなら思い通りにならないものを排除するということは、いつでもこの私が排除される存在になるということです。又すべての存在を思通りに利用しようとすると、いつでも利用される存在に変わるということです。
仏様の智恵を無分別智といいます。人間の知恵、すなわち分別智に立つ限り決して安らぐことはありませんよと私に呼びかけて下さる智慧が無分別智であります。
あさはかな分別智を照らし破って下さる用きこそ無分別智の仏さまというのです。
(「テレフォン法話」H8.6月 名畑龍童輪番)