展示

こんな感じになりました💡
もうちょっと工夫が必要ですね🤔

「戒め」

作家であり、神田日勝記念館長の小檜山博さんが、JR北海道の車内誌に「戒め」という一文を書かれておりました。小檜山さんは各地に講演にでかけられ、「生きるとは」とか、「老後をどう生きるか」というようなテーマでお話をされるそうです。小檜山さんのお父さんは尋常小学校の6年間を出ただけで、北見滝の上で炭焼きをして6人の子供さんを育てられました。小檜山さんが高校1年の時に「地球は丸い」といったそうです。するとお父さんが「高校へ行ったくらいで、いいかげんなことを言うもんでない」といわれて「本当なんだ」と反発したというのです。お父さんに「おまえ見たのか」といわれて、「見るわけない」というと、「見ないものを、そんなふうに自信たっぷりに言うもんでない」と注意されたそうです。先の講演のテーマでお話をする時に、自分のまだ生きたことのない老後のありかたとか、たいした生き方もしていないうえに、まだ一生を生きていないのに偉そうに人さまに話をしている自分に、亡きお父さんが「おまえ人生を見たのか」と時々小檜山さんの中に現れるそうです。そして、自分の不遜になりかかる心を「戒め」てくれるのだといわれます。
私の日常のあり方も、仏さまの教えをわかったこととした時、人さまを説得できるのだという不遜さ、微慢さが自らを見失い、人さまを傷つけることとなるのです。このような私に気づかさずにおかない仏さまのはたらきをいただくことであります。小檜山さんは亡きお父さんが諸仏となって、不遜さ、傲慢さを「戒め」てくれているのでしょう。知っている、分かっているという暗闇のありかたこそが一番助からないのでしょう。お正信偈に「邪見橋慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し、難の中の難、これに過ぎたるはなし」のおことばを深くいただくことであります。(平成16年6月東別院テレフォン法話 名畑輪番)

聞法とは、常に自分を「戒め」られることでしょう。しかし、私は戒められるより褒められる事の方が好きです。

七回忌

もう、七回忌ですか。早いですね🙏
花粉症が心配でしたが、滞りなくお勤めさせていただきホッとしております。北海道のご寺院のご親戚なので。
しかし、いつ来ても綺麗でホテルみたいですね。

帰宅後、大谷派のご住職の訃報の電話が💦
お勤めして欲しいとのご依頼。
それぞれのご事情で、それぞれのご縁の中で、今、如来のいのちがあなたを生きております🙏

不思議ということ

「雲が白いことも 風が音をたてて ふいていることも
ささの葉が青いことも 犬が犬で 猫が猫であることも
不思議でならない」(小学4年・岩田有史)
10歳の岩田少年は、雲が白いことも、風が音をたててふいていることも、不思議でならないという。雲が白いことを不思議だと感じる世界を、教育を受けた大人たちはすっかり忘れてしまった。その不思議に対して、賢い大人たちはさまざまの答えを与えるだろう。しかし、岩田君はなお「不思議でならない」とつぶやくのではないだろうか。
「雲は感情もなく 意志も 前には一度持ったが
今は無く 不思議な力につかまえられて だだっ広く寝そべっている」(八木重吉・詩)
この詩は単に雲をうたったものであるまい。自他への誠実を尽くし、みずからの生命の本当の在り処を求めて、ひたぶるに生きた詩人・八木重吉が、その懊悩の中から、はからずも至りとどいた世界を雲に託してうたったものであろう。
不思議ということは、意味がはっきりしない、あいまいな世界を言うのでもなく、また逃避の感情でもない。思議とは人間の思慮分別のことであろう。人間の思慮分別を、もっとも確かなものだと錯覚してしまったところに、今日の人間の迷いの、苦しみの根源があるのではないだろうか。よくよく案じてみれば、私たちの生命は、ただ不思議ということに支えられてあるのではないか。〝不思議だなあ”。自己の全存在をそういう感慨でもって頷ける人は、なにより広大な明るい世界を生きている人であろう。不思議とはわからないことではなく、明らかになったことへの驚きである。人間の一切の歩みはそこから出発しているのだ。(-生命の見える時- 松本梶丸)
なんでも手に取るように一瞬でわかってしまう世界。今まで、1時間かかっていた仕事がAIによって1分で済んでしまうので、どんどん人がいらなくなる時代へ。ブッダロイドによってお坊さんもいらなくなってしまうのではないでしょうか。なんでもわかったつもりで、人生もこんなもんだとわかったつもりで、答えを握りしめて安心して生きてしまう危うさ。学答ではなく学問。問いを学ぶ。知識を蓄えた賢い大人が迷っているのですよと聴こえてきます。

退任式

昨日は、お近くのいつもお世話になっている先生と一献。
先生は41年間住職を勤められ、2023年に息子さんへ引き継いでおられますが、ご本山の退任式が先月あったと知り、ささやかながら一席設けさせていただきました。いつも気にかけてくださり、心配してくださり、鉦鼓も貸してくださり、葬儀屋さんを紹介してくださり、本当に何から何までお世話になりっぱなしで、お父さんのような存在です。なんの恩返しも出来ずにいますが、一生懸命に頑張ってる姿を見せるのが恩返しだと思って頑張りますので、これからもよろしくお願い申し上げます🙏🙇

札幌の先輩

素晴らしい絵が届きました✨
やはり、写真より実物は思った以上に素晴らしいですね。ずっと眺めていられます🙏🥹

本物は違いますね。神田日勝記念館で見た未完の馬の絵以来の感動でした🥹🙏✨

いい誕生日プレゼント🎁になりました🥹有難う御座いました🙏😹

御門徒にも喜んでもらえたら嬉しいです☺️ぜひお参りください🙏

佐々木画伯より
「岩や鉱石、宝石をすり潰して、膠で溶いて、和紙に乗せる伝統的な日本画の技法です。かなり岩絵具を重ねてるから、近くで見ると絵の具が重なり盛り上がってているのが見えます」

とのこと。ぜひ間近で見ていただきたいと思います🙏😊✨色合いが優しくて癒されます😌

MONK ART GUDO(モンクアートグドウ)

MONK ART GUDO(モンクアートグドウ)のクラファンをさせていただいてから1年半、築地本願寺の展覧会から7ヶ月、大昔のような出来事のような気がしますが、本日なんとなんと待ちに待った絵が届きました!拍手!👏パチパチパチパチ🎊
嬉しい。めっちゃ嬉しい
さて、まだ帰宅してないので見てませんが、どこに飾るかゆっくり考えたいと思います🥹🙏

寺子屋〜ひよこ〜

R8.2.28(土) 第16回小さな寺子屋〜ひよこ〜子ども食堂を開催しました。

〈メニュー〉
🎎五目ちらし
🎎鶏だんごと白菜のスープ煮
🎎タァツァイと小松菜のツナコーンサラダ
🎎まり麩と三つ葉のすまし汁
🎎ひなあられ

今回以下のご提供がありました。
※好香様より白菜
※日鉄テックスエンジ株式会社様より
・小松菜、タァツァィ、小松菜、ロロロッサ、野沢菜、西洋ふだん草、アイスプラント

この場を借りて御礼申し上げます。

〈今回のひとこと〉
今回はお雛様🎎が見守る中、ひな祭りメニューとしました。たくさんのお野菜を提供いただき、今回初めてchat GPTにメニュー作成を手伝ってもらいました。すごいですね、とっても頼りになりました。
また今回初めての参加者さまもいて、賑やかな時間となりました。
みんなでお誕生日のお祝いもしました🎂
ありがとうございました。

次回は3/28(土)です。

感ずることの大切さ

Kさんは夫と離婚、6歳と4歳になる娘を育てながら、小さなスナックのママさんをしている。どうしても仕事に時間を取られて、子どもと過ごす余裕をなかなか持つことができないKさんは、お天気のよい日、夕方になると、2人の子どもを連れて海へいくことにしている。
3人で砂浜に座りながら、夕日が落ちていくのを眺めるのである。時には、その夕日の中を渡り鳥が一列に並んで飛んでいく。「お母さん、あの鳥さんたちは夕日の向こうへ飛んでいくの?夕日の向こうにはなにがあるの?」「さあ、鳥さんたちに聞かないと分からないわね」。沈黙の中での親子の対話…・・・・。
この親子のささやかな時の過ごし方の中に、現代に失われている大切なものが暗示されていないだろうか。現代の教育はもっぱら知識の習得のみが偏重されているが、Kさんがふたりの幼い娘と過ごした数刻の中にこそ、教育における原点のようなものを感ずるのである。
「優しい心は感ずる心だ。感ずる心を育てることが教育の根源だ」と、小林秀雄は言う。美しいと感じた時、本当だと感じた時、感じた心の中に豊かなものが育っている。
「一度ほんとうだと
感じたことは消えない
きっと自分のうちの
どこかで生きている
見えないところで
自分を生かしている
感じることが根本だ」
(宮崎丈二・詩)
美しいと感じ、本当だと感ずる。それは人間の理知分別よりはるかに深く、すべての人間に与えられているものである。この2人の子どもたちは、大きくなってもお母さんと並んで見た燃えながら落ちていく夕日の美しさを、その落日の向こうに消えていった鳥の群れを、夕日の中でお母さんと交わした対話を、いつまでも忘れないことだろう。(-生命の見える時- 松本梶丸)

言の葉サイト(https://kotonoha.shinshu-kaikan.jp)は、東本願寺真宗会館が管理運営しています。

ファーストペンギン

この世界に飛び込んで28年。
「ファーストペンギン」のような、カッコいいものではないですし、自分の弱さを知り怖さを知り、波瀾万丈な人生と言うには大変おこがましいですが、尊い人生を歩ませていただいてる事だけは確かです🙏南無阿弥陀仏