普段出番がない畳袈裟たち。
わたくしには立派すぎてもったいなくて、もったいなくてとてもつけられません。
立派だから坊さんしているわけではありません。立派じゃないから坊さんしているのです。
立派だったら坊さんする必要がないではありませんか😄
だからこそ、立派な袈裟をつけたがるのです。
南無阿弥陀仏






住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
普段出番がない畳袈裟たち。
わたくしには立派すぎてもったいなくて、もったいなくてとてもつけられません。
立派だから坊さんしているわけではありません。立派じゃないから坊さんしているのです。
立派だったら坊さんする必要がないではありませんか😄
だからこそ、立派な袈裟をつけたがるのです。
南無阿弥陀仏
今晩、親鸞聖人が八王子に来ると言う講演会のポスターがあっても、私は行かないと思う。
何故なら、親鸞聖人には肩書きがない。
当時の資料にも出てこないし、法然上人と比べたら、誰かも良くわからない。人相もあまり良くない。その点、法然、道元と言う方の方が魅力的である。
家庭はどうかと言うと、奥さんとは長い間別居。長男は勘当して縁を切った。それでは今どんなお寺におられますかと言うと、それはもう小さなお寺で、それも弟さんの所に間借りされておられる。そう聞くとさっぱり話し何ぞ聞く気になんてなれない。
親鸞聖人と遇うと言うけど、どこであうのか?
親鸞聖人が教行信証を書いたのではなく、教行信証を書いた人が親鸞聖人として遇う。
南無阿弥陀仏
馬さんの顔につける緑色のロープ。名前はわかりませんが、実は母ちゃん一応職人なんです。実家へ帰ると毎日せっせとロープを結んで内職がんばっている姿をみるといつもえらいなと思います。
いまだに内職して家計を助けている母ちゃんですが、今年結婚30年周年だそうです。おめでとうございます。貧乏な家庭で育ちましたが、お坊さんになっても貧乏ですが、僕も頑張ろうと思います。
10年前の僕のfacebook投稿があった。あれから10年か〜。早いな〜。今はとっくに内職はしてませんが、
て、ことは今年結婚40年って事ですね。おめでとう御座います㊗️
10年後は何してるかな。
てか、10年後の事を心配するのでななく、今を大切にしなければなりません。
「きっとお前は10年後に、せめて10年でいいからもどって、やり直したいと思っているのだろう。今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後から戻ってきたんだよ今。」
南無阿弥陀仏
記念袈裟があった。
連続五十年完納は、御門徒さんのご懇志によるものです。願入寺は開教所になってしまいましたが、先代、先先代の時代から御門徒さんお一人お一人のご懇志によって支えられ続け昨年100年が経ち、また一からよちよち歩きのひよこになりました。大きなひよこに成長するために、与えられた仕事をコツコツと頑張ろうと思います🙏😌✨
南無阿弥陀仏
昨日フラッと行った居酒屋さんに、山椒すりこぎ棒が。
買っちゃいました😄
もはや、オブジェになっております笑
南無阿弥陀仏
八王子ビールの差し入れ✨
製造会社は小樽でした😄
グルメインフルエンサーに紹介されました🙏🤤✨
南無阿弥陀仏
フライヤーが出来ました♪
GRIT様有難う御座いました🙏😌✨
頑張ってポスティングするぞー‼️おー‼️✊😄
南無阿弥陀仏
御門徒さんから、お餅やお年賀、ドレッシングに蝋燭と、子どもにご寄付をいただきました有難う御座います🙏😌✨
ピザにお餅が入るので助かります🤤
南無阿弥陀仏
この言葉は親鸞聖人のお書きになられた書物の一節です。風は目に見えませんが肌で感じることができます。人の優しさや温もりも目には見えませんが心で感じることができます。仏さまも本来形はありません。形はありませんが、親鸞聖人は阿弥陀様を光としていただかれました。それはどういうことかというと、仏教は学問として学ぶだけではなく、からだ全体いのちそのもので受け止めなければならないということです。光というのは遮るものがあって初めてはたらきます。ですから、遮るものが何もない宇宙は真っ暗闇です。そこに星や月がぶつかってはじめて光り輝きます。私たちも同じように、わが身の煩悩が障害物となって阿弥陀様の光が当たり輝きを取り戻すのです。私たちの迷いの闇が深ければ深いほど阿弥陀様の光はいよいよ明るく照らしてくださいます。本来いのちそのもは光輝いています。しかし、残念ながらうっかりしていると、年を重ねるごとに「ピカピカのいのち」に汚れをつけて輝きを失わせてしまいます。本来の輝きを取り戻してほしいと仏さまは願ってくださっているのです。その阿弥陀さまのはたらきをいのち全体で受け止め、光明として、智慧としていただかれたかたが親鸞聖人なのです。合掌