国分委子 (坊守)

管理栄養士

心不全療養指導士 

中・高校教諭一種免許(英語)

少しおっちょこちょいなとこもありますが、心優しい思いやりのある頑張り屋さん。

一生懸命すぎて空回りすることもありますが、住職より頼りになる時もあります。

錦糸町でスナックのママをしていた事もある、人生経験豊富な苦労人。

英語の教師の免許があり夢はスチュワーデスさんだったそうです。

人生何があるかわかりません。

「眠たい」の口癖がたまに傷ですが、

今年、無事得度を受け僧侶の仲間入りを果たしました。

まだまだお勤めの奮闘中。

お参りにお伺いした際は、どうぞよろしくお願い致します。

南無阿弥陀仏

みんなが「生まれてきていいよって」言ってくれて生まれてきたはずだけど…

何処へ行っても迫害され、歓迎されないから、悲しいのではない。

宮殿が木っ端微塵になったから悲しいのではない。

「立派な坊さんは沢山いるから、わざわざあなたに立派になってもらう必要はありません」

「自分の身の事実を素直に白状できる坊さんになってください」

恩師の言葉です。

どうして、妻に優しく出来ないのかな

優しく出来ないから悲しいのである

ごめんなさい、ありがとう

南無阿弥陀仏

ぼくの生まれた日

吸い込まれそうに青い空でした。

「ぼくが生まれてくるとき、どんなだったの?」半身を起こしただいすけくんが、私の視界いっぱいに顔を近づけて言いました。

「たいへんだったんだよ。みんな、大忙しだった」「大忙しだったの?ぼくのお父さんと、お母さん?」

「君のお父さんとお母さんも大忙しだった。けれど、ほかのみんなが、もっと、もっと大忙しだったんだよ」

「お父さんとお母さんだけとちがうの?」

「君のお父さんとお母さんの大忙しは、みんなに頼んでまわることだったんだ」

「頼んでまわったの?」

「頼んでまわったさ。お父さんとお母さんのところに、赤ちゃんが生まれてきます。

どうか、仲良ししてやってくださいって、みんなに頼んでまわったさ」

「みんなに?」

「みんなにさ。君より先に生まれていたみんなにだよ」

「園長すけにも?先生にも?さっちゃんにも、ひろくんにも?」

「ああ、みんなにだ。人間だけとちがうのだよ。犬さんにも猫さんにも、雀さんにも、虫さんにも、草さんや木さんにもだ」

「象さんにも?」

「そうさ。キリンさんやカバさんやライオンさんにも頼んだのさ」

「お魚さんにも?」

「頼んださ。だいすけくんが赤ちゃんになって生まれてきます。どうか、仲良ししてやってください」

「そうしたら?」

「みんな、大忙しになった」

「みんな、大忙しになったの?」

「なった、なった。たいへんな大忙しだ。会議、会議、で大忙しだ」

「会議、会議?」

「そうさ。だって、だいすけくんがどんな赤ちゃんか解らないもん。やさしい子だったらいいけれど、先に生まれているものをいじめる子かもしれないもん。いじめられたらたいへんだ。だから、一生懸命の、大忙しの会議だった」

「それでぼく、生まれたの?」

「そうだ。みんなが、生まれてきていいよって言ってくれたんだ。この赤ちゃんは、やさしい子になってくれるだろう。生きているみんなを大切にする人間になってくれるだろう。みんな、そう思ったんだ。そう思ったから、パチパチって拍手したんだ。おめでとうって、言ったんだ」

「良かった」

だいすけくんは、頭の下に手を組んで半身を倒しました。コスモスの花が揺れ、蜂の羽音が聞こえました。

本当に大切なものとは

鍵を持ったまま探したり、メンタームを懐に入れ探したり、老化かな…

でも、今まで眼鏡を忘れて出かけた事はありません。

本当に大切なものは忘れないのですね。

南無阿弥陀仏

罪福信

新聞の川柳に「不惑無理四十どころか死ぬまでも」というのがありました。よく世間でいう四十にして惑うことのな生き方をするといことでしょう。しかし、この句を投稿された方は実際はそうはいかないというのです。死ぬまで惑って、苦しんで悩む原因・もとは何であるかを教えて下さるのが仏さまのみ教えなのです。
私共の知恵は分別智、分別する知恵といいます。それは自分を立てるために、自分と他人、自分と他なるものを分ける、区別する知恵によって行動しているのです。
この分別智をよりどころとして生きる限り死ぬまで惑うのです。この分別智をよりどころとして生きる人間の在り方を親鸞聖人は罪福信と押えて下さいます。
罪というのは邪悪なるもの、不吉なるものということで、自分にとって現存者合の悪いもの、将来都合が悪くなりそうなものを排除し取りのぞこうとする信を罪だというのです。自分に都合の悪いものを取りのぞく「自」取りのぞかれる「他」を分けるのです。
取りのぞくものと取りのぞかれるもの、カのある者と力のない者、他を排除し抑圧してゆく世界を作りだす信を罪だといわれるのです。
次に福とは自分にとって妙なるもの、快よいということで、これを追い求めていく信だといわれます。これは自分に都合の良いものは人であれ、物であれ思いを叶える為ならばすべて利用しようとする信です。
この罪福信をよりどころとして生きる限り死ぬまで安らぎはありません。なぜなら思い通りにならないものを排除するということは、いつでもこの私が排除される存在になるということです。又すべての存在を思通りに利用しようとすると、いつでも利用される存在に変わるということです。
仏様の智恵を無分別智といいます。人間の知恵、すなわち分別智に立つ限り決して安らぐことはありませんよと私に呼びかけて下さる智慧が無分別智であります。
あさはかな分別智を照らし破って下さる用きこそ無分別智の仏さまというのです。
(「テレフォン法話」H8.6月 名畑龍童輪番)

北野たけし

もっと胸張って自分らしく頑張ろう!そして、気をつけないように気をつけよう!!

南無阿弥陀仏