人生は演劇である

「人生は演劇である」

シェークスピアの有名な言葉です。

人生という舞台の主役は自分。脇役は縁ある人々。その舞台には悪役もいれば正義の味方もいる。全員正義の味方では全くつまらないお芝居になってしまいます。悪役がいるからこそ面白い劇になるのです。では自分にとっての悪役は誰かと言われると困りますが、自分が悪役になる場合もあります。つまり、みな与えられた配役を演じているということです。お金持ちに産まれれば、お金持ちの役。貧乏に産まれれば、貧乏の役。女に産まれた、男に産まれた。もっといい亭主と一緒になれば良かった。呑んだくれでどうしようもない。どうして一緒になってしまったのか。その逆もあると思います。つまりそれは全部自分に与えられた役割であり、自分が人生の主役なのです。提婆達多もわざわざ誰もしたくない悪役を演じているのだと言われた先生がいました。そして悪役を演じきったのです。悪役がいなければ舞台は成り立たないのだということを言われたのだと思います。そう考えれば、あ、この人は俺の為に悪役を演じてくれているのだと考えれば人生の問題もあまり深刻に考えなくても良いのかもしれません。

ハッピーエンドで終わる芝居はつまらない。バッドエンドで終わるからさこそ面白いと言われた方がいました。

世界の名だたる名画と言われている作品は別れで終わります(全てとは言えませんが)つまり、別れによって愛は完成するということです。究極の愛は死別ということではないのかなと思いました。

廃寺公示

願入寺の代務をして下さってる先輩からお便りが届きました。

「今日は、代務してるお寺の廃寺の公示をして来たよ。お寺は消えてしまうけど、皆んな元気だ。
廃寺後は、お食事処にして町おこしに挑戦する若者が現れました。いいぞー!みんな!」

これから、願入寺は廃寺になってしまいますが、新しくお食事処、民泊として生まれ変わります。このコロナ下ではありますが、終息した際には是非、知床の玄関口としてご利用いただければ嬉しいです。よろしくお願い致します。

開教者研修会

一昨日から連日研修が続いております。一昨日は13時から17時までリモート研修。

今回は画像や音声トラブルが多かったな🤔
やはりリモートは限界がある。

昨日は、真宗会館で研修。
声明はさすがにリモートでは無理ですね。

南無阿弥陀仏

「チコちゃんが出演者たちに質問したのは「お経ってなに?」というストレートな質問。振られたMCのナインティナイン・岡村隆史は、「亡くなられた方、天国にいる方への長々としたご挨拶」としどろもどろに答え、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と活を入れられることに。一方、出演していた駒沢大学出身のお笑い芸人・あばれる君は見事正解である「生きている人たちに向けたお釈迦様のアドバイス」を叩き出していた。」

南無阿弥陀仏

「失敗はない。報われない時はあっても、失敗が過去になるまで挑戦し続けよう」キンコン西野

南無阿弥陀仏

今年最後の掲示板

通りすがり学生さんが読んでくれました。

先日も散歩のご主人が写メを撮って一礼。

有り難かったです。

南無阿弥陀仏