本日から寺子屋〜ひよこ〜で笑結び(えむすび)さんの腸活ランチが始まりました♪【まごわさやしい】自家製発酵調味料です😊
隔週水曜日、お待ちしております😌✨





住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
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現在でも小松大聖寺教区では地域の門徒の人が集まり、お内仏を前にそろって『正信偈』を唱和して、僧侶の法話を聞く、というお講が行われています。
浄土真宗におけるお講は、本願寺第八代の蓮如上人の時にはじまりました。衰退した本願寺の宗主を継承した蓮如上人は、宗祖親鸞聖人が顕かにされた本願念仏の教えを世間に広めるため『正信偈』を唄うように、お勤めとして各地に伝えました。これは、文字を読めない人でも、大事なことが書かれている『正信偈』を口にすることができるからです。
文明十八年(1486)の上人のお手紙に、小松の地に「能美郡四講」というお講が組織されたことが記されています。おそらく浄土真宗の歴史の中で一番早くできたお講と考えられます。この四講が始まりとなり、今も八つの組お講が組織されています。このことから、ここ小松大聖寺教区ではお講が500年以上続けられていることがわかります。
ところで当時、各家々にはお内仏は据えられていませんでした。おそらく上人は各地域に、本尊と製本された『正信偈』に加え御消息(お手紙)を授け、教化したものと思われます。本尊は紙に書かれた「六字名号(南無阿弥陀仏)」あるいは「十字名号(帰命尽十方無碍光如来)」でした。それらを各集落へ持ち回りでお飾りをしてお講がつとめられたと考えられます。『蓮如上人御一代記聞書』の「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ」は、それほどお講が盛んにおこなわれた証しなのでしょう。
さらに当時は封建制度が強い武家社会でした。そんな中で百姓といわれる人々はどれほど生きることに価値を見出していたでしょうか。現代からは想像もできませんが、おそらく虐げられたことは想像に難くありません。そういう彼らはお念仏に遇い、生まれた喜びや生きる意味を見出していったのかもしれません。
蓮如上人以降も、歴代の宗主によって授けられた御消息が教区内の各地に残されていて、それを拝読して大切にお守りされています。お講をつとめ、私たちの先輩方が出遇って伝えてきたものに思いを馳せ、さらに後へ伝えていくことが私たち真宗門徒の仕事なのかもしれません。
(小松大聖寺教区妙観寺住職 山内譲)
小松のお講とまではいきませんが、願入寺も100年以上続いた念仏道場として、場所は北海道から八王子へ変わっても、地域に開かれた居場所づくり、蓮如上人時代、ご本尊を各集落へ持ち回りでお飾りをしてお講がつとめられ500年以上続けられてきた意義は、お寺は真宗門徒に限った狭い世界に閉じこもっていく場所ではなく、どなた様にも開かれた地域の居場所として、浄土建立の志願に参画させていただく。それはただ単に開教所の建立ではありません。
「願心が建立する浄土とは、いかなる意味をわれわれに呼びかけているのか。これはもともと一如法界を、願心を通して「荘厳」したものであると言う。報土とは法蔵願心の荘厳した世界なのである。すなわち、色もなく形もない法性を、衆生の意識に呼びかけるために象徴的に表現されたものなのである。この荘厳された形をどこでわれわれは感受しうるのか。それを親鸞は「真実信心」の内なる意味として了解しようとされている。すなわち、「欲生心」として選択本願が誓っている意味が、われらの信心の内に回向心として与えられる。その回向心の内容(相分)が荘厳なのだと、明らかにされているのである。「願心荘厳」といわれているのだから、願心の内面なのだ、と。」
本多弘之先生は仰っております。
つまり、自分自身が聞法の道場という事です。
衰退した本願寺を継承した蓮如上人は、伽藍を建てただけではなく、一人一人に信心という聞法の道場を建てたのです。それが現代までお講という形で継承され、まだまだよちよち歩きのひよこですが、まずは自分自身を開教していかなければならないと思います。その輪が地域に広がっていけばいいなと思います。それが、法蔵願心の荘厳した世界なのです。
南無阿弥陀仏
今日はお勤め後、町内会のお祭りのお手伝いへダッシュ四駆郎。このひとパックの焼きそばにどれだけの人が関わっているか考えたことがあるかどうか。
数時間しかお手伝い出来なかったが、昨日から朝早く2日間お疲れさまでした。
今年で2回目。来年はもういいかな😅
それは、暑かったからではない。足がつったからではない。
お盆の時期で忙しいからである🥹
でも、年1ひとパックの焼きそばに完全燃焼してもいいジャマイカ🇯🇲
あー!夏休み☀️🌻
800食でした〜




1年って早いですね😹
お盆の時期。忙しさにかまけてすっかり忘れてました😹
昨日はお勤めで行けなかったけど、今日は焼きそばの担当。去年は800食。今年は何食かな。頑張ります😊

インドの最初の統一王朝であるマウリヤ朝第3代のアショーカ王は、仏塔の建設を全土に仏塔(ストューパ)を建て、仏舎利(ブッダの遺骨)を分納した。伝承によると王は8万4千の仏塔を建てることを目指したという。現存する石塔には、インド中央部のサーンチーの石塔が有名である。(世界史の窓より)
お釈迦さま入滅後、お弟子さまによりご遺骨を8分骨され仏舎利塔が建てられました。それが、お寺の始まり、お墓の始まりと言われております。
そして、滅後およそ100年(または200年)に現れたアショーカ王によって、インド中に仏塔が建てられました。それが、大乗仏教の始まりと言われております。
それまでの仏教は在家の信者はいましたが、出家者中心の仏教でした。結集と呼ばれるものに在家信者がいなかったというのも出家者中心だったことを物語っています。
アショーカ王によって、在家の方々の近くにも仏塔が建てられ今まで仏法に縁が無かった方々も集うことができ、出家者も在家者も共にお釈迦さまの教えを聞く居場所が出来きました。
何故、8万4千もの仏塔を建てる必要があったのでしょうか?そこに、お釈迦さまの教えは8万4千あると言われる所以があります。
世の中いろいろな悩み苦しみを抱えた方がおられます。悩み苦しみは人それぞれ違います。ですから、8万4千の仏塔がなければならなかったのです。もしかしたら、8万4千では足りなかったかもしれません。2500年前の話しではなく、今まさに私たちが抱えている問題です。現在、後継者問題や過疎の問題などさまざまなに理由により、どんどんお寺が廃寺になっており、聞法の道場の意義を問い直さなければなりません。
アショーカ王のように8万4千ものお寺を建てる事は出来ませんが、たった一つの開教所建立と言う志願が2500年の時を超えて、時代を超えて、世間を超えて、世代を超えて、国を超えて、末法五濁の無仏の時代だからこそ、在家仏教であるからこそ、悩み苦しみを共にするお寺が一つでも増えていく事が願われているのではないでしょうか。
7月にもお盆を迎えましたが、8月のお盆の時期になり、いよいよ逆さまになっている自分自身が知らされております。浄土真宗のお盆は1年中なのです。
先日ご葬儀のさい喪主様の挨拶で、
「死者が生者を迷わせてはならない」
が、主人が生前常々言っていた遺言でしたと挨拶されました。
私たちは、逆に死者を迷わせて自分は迷っていないと思ってないでしょうか。
その挨拶を聞いて、今の自分に響くものがあり涙が出そうになりました。
南無阿弥陀仏


小学校の通知表は5段階である
世の中は学歴で比べるこれが当たり前だと思ってるっていうことが問題なんですね
例えば国によっては義務教育期間中に子供を数字で比べることの禁じられてる国があります。それが子供をダメにするからです。
その国では小学校低学年は授業の時間を、例えば小学校1年生は1週間に20時間以上授業さを受けさせてはならないという風に決まってます。なんでか分かりますか。
脳が疲れるからです。
子供たちにとってぼーっとする時間は授業
受けてる時間よりはかに大事なんです。
今は、
脳科学でそういうことがかなり解明されて
きたにも関わらず、日本は昔ながらの長い
こと勉強したやつがすごいみたいなところにありますけれども。
今年も大谷大学の入学式の祝事で真宗
学科の人たちに言ったのは、君たちにとって世界の誰にも負けない財産は4年間っていう時間を手に入れたことだと申し上げました。これをバイトに行ったら得すると思うかもしれんけれども、それは1時間働いたら1500円貰えたということは自分の貴重な宝物を1500円で
売ってしもたということやぞと、考えろと。いう話をちょっとどうかなと思いましたけど、しました。つまりね宗教とかぼーっとって言うたらいきませんけれども、ぼーっと考える時間がとても大事なんです。その呼吸を深くして、そして静かにぼーっとと何かのためというんじゃなしに、考える時間ってとても大事ですね。かつてからお内仏の前に座る時間っていうのはやっぱりそういう部分があったんじゃないでしょうか。(真城義麿)
子ども食堂のオーブンが届きました♪
大切に使わせていただきます🙏😌✨



