草むしり

雑草は、抜かれたり、踏まれたりという過酷な環境に身を置き、逆境を乗り越える力を身につけ、生き残ってきた植物です。

風雪・乾燥・日照不足などのストレスに耐え、タネの状態で、土の中で、何年も、時には何百年も、踏まれても踏まれても、じっとチャンスを待っている雑草もあるそうです。

そして、いざ発芽するとその成長や繁殖のスピードは凄まじい。

抜かれてもタネを撒き、ゴミとして処分された先でまた発芽のチャンスを待つ。

弱い雑草でも、逆境の中でじっくりと耐えて、生き残っている。

それは命を繋ぐという使命を全うしようとする強さのあらわれではないだろうか。

我が身に置き換えて、そんな雑草のたくましい生き方に学びたいものです。

こんな雑草魂を学ぶための修行として、『草取(くさと)りは、苦悟(くさとり)』だと教えていただきました。

語呂合わせもよく、うまい言い回しだったので、草抜きで腰が痛くなると、いつもこの言葉を思い出します。

熱中症に気をつけて頑張りましょう。

住職の仕事は草むしりなのです。

火舎香炉

阿弥陀さんの火舎香炉を、御門徒さんが寄付してくださいました😌有難う御座います🙏😊

シェアキッチン

今年の2月から、八王子のシェアキッチン「まちはぐ」にてオープンさせた笑結び(えむすび)さん。毎回完売の人気店です♪

この度8月から、小さな寺子屋〜ひよこ〜でも隔週水曜日にオープンします♪

お待ちしております。

ハガキ

13年前に佐々木さんからもらった報恩講の案内の写真が出てきました😊版画のハガキっていいですね😌

MONK ART GUDO(モンクアートグドウ)

作品情報 ・タイトル:西方十万億土 ・素材:パネル(額装なし) ・制作年:2024年 ・サイズ:61×91×3 cm

高校の先輩でもあり、僧侶としても先輩でもある、佐々木強さんが立ち上げた、MONK ART GUDO(モンクアートグドウ)のクラファンの支援をさせていただきました。その返礼品として、この作品を選びどこに飾ろうか今から楽しみがとまりません🥹(2枚目は北海道教学研究所に寄進された絵です)
そして、来月築地本願寺で展示会があります♪展示会も楽しみです♪

《会期》
⚫︎2025年 8月29日 (金) 〜 9月6日 (土) open 9: 00 ~ close16 : 00

《会場》
⚫︎築地本願寺 講堂
(今後も主要都市にて展示を実施予定)

一水四見

お盆ですね。今年は空梅雨ですが、まだ梅雨明けの発表はありません。同じ雨でもそれぞれの思いを通してみると、見え方が違ってきます。用事があり外に出かける私が見る雨は「あいにくの雨」になりますし、田畑をされる農家の方からすれば、この時期の梅雨が「めぐみの雨」と見えるはずです。お酒が好きな人には、暑い日に目の前にあるキンキンに冷えたビールがとても魅力的に感じても、お酒が飲めない人にはそう魅力を感じるものではないでしょうし、むしろ飲みたくないものに見えるかもしれません。
こういうことを仏教では、「一水四見」(いっすいしけん)の譬えで教えます。つまり、一つの水が、その生き方、その境遇によって、四通りに見られるというのです。水は、われわれ人間にとっては、文字どおり水ですが、菩薩は、これを瑠璃の大地と見る。魚は、住家と見る。そして、餓鬼は、この水で咽喉を焼く、つまり火と見ると教えます。
餓鬼というのは、いつもガツガツしているもの。いつも、なにか足りないものがあって、満足するということがないもの。これが餓鬼ですから、これは飲んでも飲んでも満足できず身を傷つけていくことを教えています。
そのように、同じ水でも、いろいろに見られるのです。干ばつで困って、雨乞いをすることがあるかと思えば、洪水にあって、水を呪うこともあるでしょう。水がなければ生きてはおれないけれども、ありすぎても生きていられません。あるとかないとか、多いとか少いとかと、自分が置かれた境遇、縁にしたがって、一喜一憂します。
人間は、ああだとか、こうだとかと、いろんなことに出会うたびに、いろんなことを思いますが、思ったようにやってくるとはかぎりません。だから、そこでまた、妄念・妄想を描いていきます。思いのままにならぬ人生に対して、「こうだったら」、「こうなってほしい」と妄念・妄想をさらに重ねていきます。
大切なのは見ている対象は一つなのだということです。私たちの「おもい」は、そのときそのときの条件次第で、様々に変わっていくものです。見る方の境遇が変わると、その見方がちがってくる。見方がちがうものだから、見ている対象までちがっているように思っていますが、そうでもないのです。「あいにくの雨」も「めぐみの雨」も「一つの雨」だと教えてあることは、自分に与えられたり、めぐってきた事を自分の思いを通してみて、しかもその目を疑わない「自我の思い」です。
おもえば、ひとつの出来事を自分の境遇や思いによってしか受け取れていないことには「せまさ」を感じます。自分が見て、受け取っている世界だけが絶対ではない、不完全だということを知っているかどうかが、「せまさ」を知り、他の人と出会っていくための大きな分かれ目なのではないでしょうか。それぞれがそれぞれに重ねてきた経験や与えられた境遇、その時の思いで見えてくる世界は変わってくるということにうなずければ、ひとつの事柄からたくさんのことを知っていくことができます。それは、自我のせまさを知らされ続けていく迷いからの解放の道です。合掌