チヂミ

ご近所さんからのチヂミの差し入れ。

子ども食堂にとレシピまで。

めっちゃ美味しかったご馳走様でした🙏😌✨

有難う御座います🙏😹

南無阿弥陀仏

仏旗

御門徒さんとの居場所づくり。

ご法事に仏旗🙏😌✨

お彼岸ですからね💡

南無阿弥陀仏

お彼岸に坊主バーどうでしょう

明日はご予約をいただき坊主バーオープン♪

たまに当日の夜これからと予約されるお客様がいらっしゃいますが、当日ではない方が助かりますので、ご理解とご了承ください🙏🙇当日お断りするのは心苦しいので、前もってのご予約でお願い致します😅💦
確かに、これから行きますって言うのも予約制にはなると思いますが🥹

お彼岸に坊主バーどうでしょう🙏😌

南無阿弥陀仏

床下

かくれんぼ好きのむーちゃん。

行方不明になった夜、床下が怪しいと言うことで、

お彼岸前に床下の換気とお掃除をして開けていた所から、案の定入ってました…

餌を置いて様子みると無くなってるので、外に逃げ出したわけではなく一安心。

お堂と繋がっているので何処まで行ってるのかわからないけど、ひとまずいどこが判明して良かったです😹

保護したばかりで居なくなったらめっちゃ寂しいので🥲

南無阿弥陀仏

彼岸の入り

朝からしとしと雨の彼岸の入りの朝。

悲しい出来事が…

昨日の夜まで自分のハウスでへそ天して寝ていたむーちゃんが朝いない…

……

朝お勤めに出掛けて、帰宅してもいない……

探しても何処にもいない…

かくれんぼ好きだったけど……

何処行っちゃったのかな……

うちに来て23日目……

短い間だったけど有難う😭😭😭😭😭😭😭

めっちゃ悲しい😭😭😭😭😭😭😭

本当に何処行ったのか。

胸が張り裂けそうです

南無阿弥陀仏

七五〇回御遠忌の時の写真が出てきた。

むーちゃんともあと少しでこうなる予感がしております🥹

南無阿弥陀仏

伝道講習会

《伝道講習会》

『正信偈』依経分を中心に、講師の講義に学び、語り合い、わが身を外さず、自身のことばと向きあい、「念仏とはなにか」「人間とはなにか」「生きるとはなにか」をあきらかにしていく。

8日もお寺を空けるのは大変だけど、その間坊守に留守番を頼んで法務のやりくりをしながら、僧分としてしっかり学んでこようと思います。

その前に定員10名なので入れないかも😹

南無阿弥陀仏

聞法

「大事な事が土寸と落ちている場所。これが、お寺という場所です」
仏教の勉強をしてこなかった20代の私の耳に、その言葉は衝撃的に飛び込んできた。「寺」という漢字の上下を解体し「土寸」と読ませて、仏法の大切さを明確に感じさせてくれた先輩念仏者の言葉である。
「寺に落ちている大事な事って何なんだ?」なぜか、その問いに体を鷲掴みにされたことを記憶している。
その人は、また、次の言葉を残してくれた。
「僧侶というのは、如来に背を向けている最も危険な場所で法話をしているということを忘れないでほしい」
少しだけ仏教を勉強するようになって泣く泣く法話をし始めた頃、またしても背筋が伸びるどころか、背骨がそり返るくらいの感覚を覚えた言葉である。当時、住職が亡くなり、26歳の私が住職を継ぐことになった。その時、お祝いの言葉として私に贈ってくれた言葉である。
この2つを私に教えとして伝えてくれた人は、もういない。
48歳を迎えた今「聞法とは、積み重ねるものではなく、繰り返すことである」ということを思っている。積み重ねる聞法で賢者になっていこうとする私に、南無阿弥陀仏と念仏申しながら如来に背をむけていく私に、ひとたび、ひとたびの聞法、繰り返しの聞法が、その無明性を教え破り続けていく。そして「南無阿弥陀仏を依り所に生きていこう。仏道に共に帰ろう」と南無阿弥陀仏が私に愚者としての歩みを開き続けるのである。
このことを憶うとき「生涯の日暮らしを共に念仏申し聞法者として生きて欲しい」という先人念仏者の願いとの出あいが底流にあるということに、私は心震えるのである。
仏・法との出あいは、必ず僧伽・人との出あいから開かれ続けていく事柄であり、歩みであるということを、亡きその人との思い出に深く感じ得ながら筆を擱く・・・。  寺澤 三郎(教化本部長)
南無阿弥陀仏