「人生は演劇である」
シェークスピアの有名な言葉です。
人生という舞台の主役は自分。脇役は縁ある人々。その舞台には悪役もいれば正義の味方もいる。全員正義の味方では全くつまらないお芝居になってしまいます。悪役がいるからこそ面白い劇になるのです。では自分にとっての悪役は誰かと言われると困りますが、自分が悪役になる場合もあります。つまり、みな与えられた配役を演じているということです。お金持ちに産まれれば、お金持ちの役。貧乏に産まれれば、貧乏の役。女に産まれた、男に産まれた。もっといい亭主と一緒になれば良かった。呑んだくれでどうしようもない。どうして一緒になってしまったのか。その逆もあると思います。つまりそれは全部自分に与えられた役割であり、自分が人生の主役なのです。提婆達多もわざわざ誰もしたくない悪役を演じているのだと言われた先生がいました。そして悪役を演じきったのです。悪役がいなければ舞台は成り立たないのだということを言われたのだと思います。そう考えれば、あ、この人は俺の為に悪役を演じてくれているのだと考えれば人生の問題もあまり深刻に考えなくても良いのかもしれません。
ハッピーエンドで終わる芝居はつまらない。バッドエンドで終わるからさこそ面白いと言われた方がいました。
世界の名だたる名画と言われている作品は別れで終わります(全てとは言えませんが)つまり、別れによって愛は完成するということです。究極の愛は死別ということではないのかなと思いました。