この言葉は親鸞聖人のお書きになられた書物の一節です。風は目に見えませんが肌で感じることができます。人の優しさや温もりも目には見えませんが心で感じることができます。仏さまも本来形はありません。形はありませんが、親鸞聖人は阿弥陀様を光としていただかれました。それはどういうことかというと、仏教は学問として学ぶだけではなく、からだ全体いのちそのもので受け止めなければならないということです。光というのは遮るものがあって初めてはたらきます。ですから、遮るものが何もない宇宙は真っ暗闇です。そこに星や月がぶつかってはじめて光り輝きます。私たちも同じように、わが身の煩悩が障害物となって阿弥陀様の光が当たり輝きを取り戻すのです。私たちの迷いの闇が深ければ深いほど阿弥陀様の光はいよいよ明るく照らしてくださいます。本来いのちそのもは光輝いています。しかし、残念ながらうっかりしていると、年を重ねるごとに「ピカピカのいのち」に汚れをつけて輝きを失わせてしまいます。本来の輝きを取り戻してほしいと仏さまは願ってくださっているのです。その阿弥陀さまのはたらきをいのち全体で受け止め、光明として、智慧としていただかれたかたが親鸞聖人なのです。合掌