寺子屋〜ひよこ〜

R8.2.28(土) 第16回小さな寺子屋〜ひよこ〜子ども食堂を開催しました。

〈メニュー〉
🎎五目ちらし
🎎鶏だんごと白菜のスープ煮
🎎タァツァイと小松菜のツナコーンサラダ
🎎まり麩と三つ葉のすまし汁
🎎ひなあられ

今回以下のご提供がありました。
※好香様より白菜
※日鉄テックスエンジ株式会社様より
・小松菜、タァツァィ、小松菜、ロロロッサ、野沢菜、西洋ふだん草、アイスプラント

この場を借りて御礼申し上げます。

〈今回のひとこと〉
今回はお雛様🎎が見守る中、ひな祭りメニューとしました。たくさんのお野菜を提供いただき、今回初めてchat GPTにメニュー作成を手伝ってもらいました。すごいですね、とっても頼りになりました。
また今回初めての参加者さまもいて、賑やかな時間となりました。
みんなでお誕生日のお祝いもしました🎂
ありがとうございました。

次回は3/28(土)です。

感ずることの大切さ

Kさんは夫と離婚、6歳と4歳になる娘を育てながら、小さなスナックのママさんをしている。どうしても仕事に時間を取られて、子どもと過ごす余裕をなかなか持つことができないKさんは、お天気のよい日、夕方になると、2人の子どもを連れて海へいくことにしている。
3人で砂浜に座りながら、夕日が落ちていくのを眺めるのである。時には、その夕日の中を渡り鳥が一列に並んで飛んでいく。「お母さん、あの鳥さんたちは夕日の向こうへ飛んでいくの?夕日の向こうにはなにがあるの?」「さあ、鳥さんたちに聞かないと分からないわね」。沈黙の中での親子の対話…・・・・。
この親子のささやかな時の過ごし方の中に、現代に失われている大切なものが暗示されていないだろうか。現代の教育はもっぱら知識の習得のみが偏重されているが、Kさんがふたりの幼い娘と過ごした数刻の中にこそ、教育における原点のようなものを感ずるのである。
「優しい心は感ずる心だ。感ずる心を育てることが教育の根源だ」と、小林秀雄は言う。美しいと感じた時、本当だと感じた時、感じた心の中に豊かなものが育っている。
「一度ほんとうだと
感じたことは消えない
きっと自分のうちの
どこかで生きている
見えないところで
自分を生かしている
感じることが根本だ」
(宮崎丈二・詩)
美しいと感じ、本当だと感ずる。それは人間の理知分別よりはるかに深く、すべての人間に与えられているものである。この2人の子どもたちは、大きくなってもお母さんと並んで見た燃えながら落ちていく夕日の美しさを、その落日の向こうに消えていった鳥の群れを、夕日の中でお母さんと交わした対話を、いつまでも忘れないことだろう。(-生命の見える時- 松本梶丸)

言の葉サイト(https://kotonoha.shinshu-kaikan.jp)は、東本願寺真宗会館が管理運営しています。

ファーストペンギン

この世界に飛び込んで28年。
「ファーストペンギン」のような、カッコいいものではないですし、自分の弱さを知り怖さを知り、波瀾万丈な人生と言うには大変おこがましいですが、尊い人生を歩ませていただいてる事だけは確かです🙏南無阿弥陀仏

ご寄付

絵本とクラッカーのご寄付をいただきました🙏

有難う御座いました🙏😌✨

月島

妻のお姉さんがいる月島へ。
昨日はもんじゃではなくの焼肉屋さん。美味しかったですご馳走様でした🙏🤤
姪っ子の大学受験が終わりホッと一息の乾杯も兼ねて。
お疲れ様でした😊
ブッダロイドの話しをしたら、それは嫌だマコロイドがいいと嬉しい言葉。1番のプレゼント🎁だったかもしれません🥹
ナンデモ充電くんをいただきました。有難う🥹いつ使うんだろう🥹

有難う御座いました😊

花粉症

ニッパチの日から辛い花粉症🤧が続いております。

今日は曇り☁️

花粉症は落ち着いてきております。薬のおかげかな。

皆様もどうぞご自愛ください

誕生日

昨日から嬉し泣きで目が腫れてるのではなく、花粉症🤧で目がぱんぱんになってしまい、別人みたいと言われておる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
24回目のニッパチの日。丸2年が経ちました。
法話会6名、子ども食堂11名の方が来てくださいました🥹
そして、なんとサプライズで誕生日のお祝いをしてもらい、🎂ケーキ🍰をみんなでいただきました🙏有難うございました🙏🥹
毎日御文さんをくり読みされている御門徒さんから、八箇条の意味や、宿善無宿善の質問をされて一緒に学ばせていただき良い誕生日になりました。(誕生日は今日ですが笑)

ドラムをやっている子のプチレッスンをしたり、充実したニッパチでした🙏😌✨

さて、桐ヶ谷斎場までひとっ走り。
今日は東京マラソン🏃
渋滞が心配😨

誕生日”の本当の意味
誕の意味:嘘、いつわり、デタラメ  
“いつわり”でたらめ”
だから誕生日の本当の意味とは
“偽りが生まれた日”って事。
人は生まれた瞬間から、
強がりや見栄、我慢という小さな嘘を身につけていく。
本当は泣きたいのに笑い、やめたいのに続け、
違うのに「これでいい」と言い聞かせる。
そうやって社会”に馴染むために、
少しずつ本当の自分を見失っていく。
では人が亡くなる日は”命日”という
命の日。それは、嘘が剥がれ落ち、
“真実の世界”へ還る日でもある。
お浄土は、この世の娑婆世界と反対の世界。
そこではすべての命が隔たりなくつながり、
愛も憎しみも一切区別がない。
ただある”だけのありのままの世界。
実はこの世で生きるということは、
その真実へ還るための“修行”(聞法)なんだ。
失敗も、嫉妬も、苦しみも
すべては“本来の自分”を磨くための磨き石。
だから人は、一年一年、嘘を削ぎ落としながら、少しずつ真の人間”
へと戻っていく(目覚めていく)
誕生日とは、“生まれたことを祝う日”ではなく、
“本当の自分に帰る誓いの日”なんだ。
「生まれる」とは、偽りを背負うこと「生きる」とは、それを手放していくこと。(誰かが言ってました)

47歳でした〜

さて、帰ったら生誕祭です笑

24回目のニッパチの日

先月の新年会のあの楽しかったビンゴ大会がずいぶん前の出来事のように感じられますが、1カ月経つの早いですね。
明日はニッパチの日。
勉強しなきゃ。
お参りに来てください🙏🙇
お願い致します🤲
本当にお願い致します🥹

捨穢欣浄と欣浄厭穢

教行信証の総序の捨穢欣浄(しゃえごんじょう)。穢を捨て浄を欣いです。穢を捨てとは、嫌なことはできるだけ避けて、これからの人生楽に幸せに生きて生きたいという思いです。そういう生活はいきいきしてこない。なぜなら、その思いは長続きしなく破れ崩れるからです。そういう問題が捨穢欣浄。それが総序にあるという事は、総じていえば、そういう思いが人間の生活の上に起きてきたら必ず、穢を捨て浄を欣うということがある。つまり、生きる事が嫌になったなあという思いは、この身を生きることが喜べないし、楽しめない、いきいきしてこないという問題を捨穢欣浄だと。総ということは普通ということ。普通ということは、普くどんな人にもそういう思いが通じていくということを総という。つまり、どんな人にも通じていくと、誰もが持っているそういう宗教心、そういう現実逃避の思いを表した時に、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)という表現をされた。総は、普くですからいつの時代にでも誰にでも起こってくる心ということです。その時その時の気分でも、生活そのものがなんとなくこのままでいいのかなと。いきいき出来ないというものを抱えて生きているということが、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)です。
そして、それに対して教行信証の別序では、欣浄厭穢(ごんじょうえんね)となっています。総序の捨てるに対して、別序は厭うになっています。
「浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類」p210
これはこれからではなくて今、生きているという今の問題。厭うという意味は、抑えるとか、覆うという意味があります。穢域ということは穢士ですから、世間のことです。世間から押しつぶされそうになっている、抑えられて、覆われている世を世として、見出すことのできた、悲しさとか、辛さ、そういう心が厭うと。世を厭うということは世を批評して捨てたり、批判して排除したりということではなく、悲しさや辛さ、そういう世の悲しさや辛さに寄り添う心が厭うだと。それが、別序に出てくるということは、別というのは特別という意味ではなくて、独自ということ。私一人においてということ。教行信証の別序でいえば、親聖人においてということ。総はすべての人ということで、別は自分においてということだと。
世にあってこの身を生きているその私一人においてはどういうことかといったら、浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類というふうにおさえられています。つまり、浄邦を欣う徒衆、徒衆という私一人において確認することができたということ。つまり、普通の世間一般的な宗教心、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)という心よりももっと深い宗教心という欣浄厭穢(ごんじょうえんね)という心があるんだと。世のなか生きるのがしんどいとか、どっか別に楽しい場所はないかなと言っている思いの底に浄土を厭うという事を通して、穢域を捨てるのではなくて厭うという事があるんだと。それが私一人において確認されたということが別だと。
生活そのものがなんとなくこのままでいいのかなという思いは僕にもあります。そして、そういう生活はいきいき出来ないというものを抱えて生きているということが、捨穢欣浄(しゃえごんじよう)であるということは、総序で言えば、いつの時代にでも誰にでも起こってくるそういう思いはあるけれども、世を生きているということが、どっかで気になったという心、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)という心からまず出発する。
観経で言えばイダイケの愚痴です。その場面を厭苦縁と言います。いだいけが愚痴を言う場面です。そして、そういう思い愚痴を超えて、娑婆を捨ててどっか別な場所を願うのではなくて、別序で言えば、欣浄厭穢(ごんじょうえんね)。観経で言えば、欣浄縁です。阿弥陀仏のみもとに生れたいと願う場面です。穢土を捨てるのではなくて、厭うんだと。念仏申す人々は世を厭うんだと。
捨てるのではないと。世から逃げ出すのではないと。つまり、世を穢域として厭う。捨てるというのは気分の問題で厭うということは浄土から見出されたはたらきを浄邦ということです。

そして、それに対して教行信証の別序では、欣浄厭穢(ごんじょうえんね)となっています。総序の捨てるに対して、別序は厭うになっています。

「浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類」p210

これはこれからではなくて今、生きているという今の問題です。厭うという意味は、抑えるとか、覆うという意味があります。穢域ということは穢士ですから、世間のことです。世間から押しつぶされそうになっている、抑えられて、覆われている世を世として、見出すことのできた、かなしさとか、辛さ、そういう心が厭うと。世を厭うということは世を批評して捨てたり、批判して排除したりということではなく、悲しさや辛さ、そういう世の悲しさや辛さに寄り添う心が厭うだと。それが、別序に出てくるということは、別というのは特別という意味ではなくて、独自ということ。私一人においてということ。教行信証の別序でいえば、親聖人においてということだと。総はすべての人ということで、別は自分においてということだと。

世にあってこの身を生きているその私一人においてはどういうことかといったら、浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類というふうにおさえられています。つまり、浄邦を欣う徒衆、徒衆という私一人において確認することができたということ。つまり、普通の世間一般的な宗教心、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)という心よりももっと深い宗教心という欣浄厭穢(ごんじょうえんね)という心があるんだと。世のなか生きるのがしんどいとか、どっか別に楽しい場所はないかなと言っている思いの底に浄土を厭うという事を通して、穢域を捨てるのではなくて厭うという事があるんだと。それが私一人において確認されたということが別だと。

生活そのものがなんとなくこのままでいいのかなという思いは僕にもあります。そして、そういう生活はいきいき出来ないというものを抱えて生きているということが、捨穢欣浄(しゃえごんじよう)であるということは、総序で言えば、いつの時代にでも誰にでも起こってくるそういう思いはあるけれども、世を生きているということが、どっかで気になったという心、捨穢欣浄(しゃえごんじょう)という心からまず出発する。

観経で言えばイダイケの愚痴です。その場面を厭苦縁と言います。いだいけが愚痴を言う場面です。そして、そういう思い愚痴を超えて、娑婆を捨ててどっか別な場所を願うのではなくて、別序で言えば、欣浄厭穢(ごんじょうえんね)。観経で言えば、欣浄縁です。阿弥陀仏のみもとに生れたいと願う場面です。穢土を捨てるのではなくて、厭うんだと。念仏申す人々は世を厭うんだと。

捨てるのではないと。世から逃げ出すのではないと。つまり、世を穢域として厭う。捨てるというのは気分の問題で厭うということは浄土から見出されたはたらきを浄邦ということです。

1周年

今日は
・猫の日
・世界友情の日
・竹島の日
・食器洗い乾燥機の日
・行政書士記念日
・ヘッドホンの日
・おでんの日
・頭痛にバファリンの日
・駅すぱあとの日
・ひざイキイキの日
・ディズニー マリーの日
・猫背改善の日
・忍者の日
・乃木坂46の日
・からだのレシピシリーズ・生酵素の日
・温泉マークの日
・EXILE THE SECOND DAY
・ハイドロ銀チタンの日
・ふふふの日
・スニーカーの日
・折箱の日
・にゃんまるの日
・デニャーズの日
・猫の健康診断の日
・Care222の日
・2並びの日(セカンドラインの日)
・カワスイ「ナマズ」の日
・KAiGO PRiDE DAY
・A.I.VOICEの日
・チェンジ・ザ・ワールドの環境アクションの日
・カツカレーの日
・頭痛の日
・ハンドメイドの日
・夫婦の日
・ショートケーキの日
・禁煙の日
・デルちゃん誕生の日
・ラブラブサンドの日
・カニカマの日
・なないろSMSの日
・風生忌
・弟の誕生日
・全世界の2月22日生まれの人の誕生日の日
と、まあこんなにたくさんの日である。
頭痛の日ってなんだろう笑

そして、今日はむーちゃんがうちへ来て記念すべき1周年の日である。次の日ゲージから逃げ出しサーキュレーターが壊れて1年が経った日でもある。
この1年、預骨堂の下へ隠れて出て来なかったり、慣れるまで本当に時間がかかりましたが、お陰様で今は毎日一緒のお布団で僕のお腹あたりでアンモニャイトになっているむーちゃん。
これからも家族の一員としてチョコちゃんとも仲良く安心して暮らせるように、僕がしっかり頑張らないとダメだと思います😹

そして、1番大切な日。
聖徳太子のご命日
推古天皇30年2月22日(622年4月8日)