思いがけない御斎のお呼ばれ。
最近はご法事での同席も減り、大切にしていかなければと有難くいただきました🙏
ご馳走さまでした。

住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
思いがけない御斎のお呼ばれ。
最近はご法事での同席も減り、大切にしていかなければと有難くいただきました🙏
ご馳走さまでした。

「宇宙の日」🚀
何故、今日が宇宙の日なのだろうと思って調べてみると、1992年9月12日、毛利衛さんがスペースシャトル「エンデバー号」で宇宙へ飛び立った日なのだそうです。
宇宙へ、宇宙へと、人間は上を目指す。
一方、私は昨日からプリちゃんで車中泊😹
後ろの座席を倒せば寝床になり、
朝になればダッシュボードがお内陣になる🙏
そういえば以前、
「すべてを捨てた末に行き着いた、車中暮らし僧侶」
「嫌なことゼロ」
という僧侶の記事を読んだことがありました。
2年間も車中泊を続けていたとか。
今、何をされているのでしょう。
宇宙へ向かう道もあれば、
地べたへ向かう道もある。
高いところへ登っていくばかりが、道ではありません。
今日も、向下の道を歩みましょう🙏



昨日、妻から突然、
「誠さんって、専門分野は何?」
と聞かれた。
「え? 専門分野って……もしかして仏教のこと?」
……
即答できなかった…
その問いを抱え、悶々としたままお勤めへ🙏
そして昨日今日と、関東をぐるりとプチ一周するような長旅のお勤め移動。
夜は居酒屋で一杯ひっかけて、今夜は車中泊です。
プリちゃん、意外と広い。
後ろを倒すと、ゆうゆう寝られます💤
そういえば先日、子ども食堂に、
「利用施設の違いによる運営・交流」を研究している学生さんが来ていました。
ならば私は今夜、
「車中泊における宿泊施設の違いによる運営・居酒屋の交流に関する研究」
でもしているのでしょうか。
……などとくだらないことを考えていたら、
昼間の妻の「専門分野は何?」という問いが、また戻ってきました。
法蔵菩薩は、
十方衆生の往生が成就しないなら、私は仏にならないと誓われ、
四十八願を成就して阿弥陀仏となられた。
『浄土和讃』には、
「弥陀成仏のこのかたは
今に十劫をへたまえり」
とある。
では――
阿弥陀仏はすでに成仏されたのに、なぜ今なお五濁悪世なのか。
私たちにとって「救われる」とは、いったい何なのか。
自分の専門分野は、まだよく分かりません。
でも、
「問い」を専門にしてもいいのかな。
そんなことを考えていたら……
全然寝られません😹
やはり、寝心地のせいですね🥹







嬉しいお言葉をいただきました🙏😊
先日、坊守がお勤めさせていただいたご法要について、
「女性のお坊様はめずらしいと思いましたが、
お話がわかりやすく、やわらかくお話してくださり、ありがたかったです。」
とのお言葉をいただきました。
いや〜、嬉しいですね😊
……というか、
最近、私より坊守のほうが人気あるんじゃないかと思っています😹
「また奥様にお願いしたいです」
なんて言われたら、住職の立場がありません🤣🙏
一方で、今でも「女性僧侶は不可」とされている葬儀社さんがあるのも事実です。
もちろん、さまざまな事情や考え方があるのでしょう。
でも、実際にお勤めさせていただいた先から、こうした言葉をいただくと、
僧侶として大切なのは、男性か女性かではなく、 目の前の方とどう向き合い、どうお勤めするかではないかな。
そんなことを改めて思います。
坊守は先日、2年間の声明教室を無事に修了したばかり。
一つひとつ学びながら、
一つひとつのご縁を大切に🙏
今日は、ちょっとだけ坊守自慢でした😹
南無阿弥陀仏🙏

皆様、いかがお過ごしでしょうか😊
雨が降ったり止んだり、晴れたり曇ったり☔️☀️
今月もあちこちから、いろいろなニュースが聞こえてきます。
それにしても……
大雪、大雨、猛暑、寒波。
こういうニュースになると、なぜか八王子から中継されることが多い気がします😹
「東京とは思えない暑さです‼️」
「東京とは思えない雪です‼️」
……八王子も東京です😹😹😹
各地で地震や大雨などにより被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く、穏やかな日常が戻りますことを念じております🙏
さて‼️
今月の子ども食堂
「小さな寺子屋〜ひよこ〜」🐥は……
じゃじゃ〜〜〜ん‼️🎊
なんと、ご覧の通りです‼️
秋野菜のチキンカレー🍛
コールスローサラダ🥗
ヨーグルトフルーツ🍊
食欲の秋です🍁
一人で食べても美味しいけれど、
ワイワイ、ガヤガヤ、
みんなで食べると、もっと美味しい🤤
子どもも、大人も、初めての方も大歓迎です😊
予約はいりません‼️
ふら〜っと遊びに来てください🐥
9月28日(月)16時〜18時
願入寺にて🙏
皆様のお越しを、お待ちしております🙇🙏

「世尊、もしわれあきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず」
『涅槃経』
「真宗の救い」とは、
自分にとって都合の悪いものを排除して、居心地の良い場所を作っていくことではなく、
関係を切ることで自分の居場所を作ろうとしていた、その自分自身が知らされていく歩み。
そして、切ることのできない関係のただ中に、すでに自分の居場所があったことに気づかされていく。
それが「真宗の救い」であると、教えていただきました🙏
それが、仏法に出遇い、生活の真っただ中で仏道を歩むということです。
私は、欲望の塊であり、欲望の怪物である。
縁次第では、何をしでかすかわからない、とんでもないやつである。
そんな自分であることを知らされながら、なお、堂々と胸を張って生きていける場所が見つかる。
「そんなもの、救いでも何でもない。
ただの『ろくでなしブルース』を開き直って生きているだけじゃないか」
そう見えるかもしれません😹
でも、
「私はろくでなしだから、これでいい」
と開き直ることと、
「私はろくでなしであった」
と知らされることは、まったく違う。
知らされたからこそ、他人を「ろくでなし」と切り捨てることができなくなる。
自分の中にも同じものがあると知らされながら、その人との関係を生きていく。
阿闍世が破ろうとしたのも、「悪人」ではなく「悪心」でした。
人を排除するのではなく、
人を排除しようとする、この私の心が破られていく。
その歩みが、仏道なのだと思います。
そして、帰敬式(おかみそり)とは、立派な仏教徒になるための儀式ではなく、
そんな私が、何度でも帰っていく場所をたまわる、その歩みの始まりなのだと思います。
迷わなくなるのではない。
欲望がなくなるのでもない。
人を傷つけなくなるわけでもない。
それでも、そのたびに照らされ、知らされ、帰っていく場所がある。
「帰依仏・帰依法・帰依僧」
帰敬式とは、その「帰る場所」をいただくことなのかもしれません🙏
そして……
色褪せた帰敬式のポスターも、そろそろ新品に帰敬させなければならないと思います‼️😹
※本日、新しいポスターを送っていただけることになりました🙏😊



今日は、開教者会報恩講の会議。
今年度は、10年ぶりに帰敬式(おかみそり)も行うことになりました🙏
御門徒さんとお話ししていて、いつも感じることがあります。
「法名」とお伝えしても、ほとんどの方が「戒名」と呼ばれること。
そして、
「亡くなった後につける名前」
「戒名は高い」
というイメージを持たれていること。
でも、これは御門徒さんが悪いのではなく、
私たち僧侶が、きちんと伝えてこなかったことにも大きな責任があるのだと思います。
最近では、ご葬儀の際に、
「法名はいりません。俗名で結構です」
と言われる喪主様も少なくありません。
けれど、
「浄土真宗では戒名ではなく法名といいます」
「本来、亡くなってからいただく名前ではないんです。生前に法名をいただくご縁がなかった場合、ご葬儀の際にお付けすることが多いため、『亡くなってからもらう名前』と思われがちなのですが……」
と丁寧にお話しすると、
「そういうことでしたら、お願いします」
と言ってくださることもあります。
そして、帰敬式について、
「法名は本来、生前にいただくものですよ」
と、これまでも再三説明してきました。
けれど、それだけではどこか人ごとのようで、
「では、いつ、どこでいただくの?」
というところまで、具体的なご縁をお示しできていなかったように思います。
「生前にいただくものです」と言いながら、
いただく場をつくってこなかった。
そこにも、もどかしさを感じていました。
だから今回、報恩講のご案内と一緒に、帰敬式のご案内も丁寧にさせていただこうと思っています🙏
『どうする家康』第26回に、印象に残っている場面があります。
武田勝頼が討たれ、その首を前にして、明智光秀が家康に、
「憎き勝頼なのだから、蹴るなり踏みつけるなり、気の済むまで」
という趣旨のことを言います。
それに対して家康は、
「恨んではおりませぬゆえ。死ねば皆、仏かと。」
と答えます。
「死ねば皆、仏になるのか」
そのことはいったん置いておくとして、
仏さまの教えは、
死んでから初めて必要になるものではありません。
法名もまた、死んだ人につけるためだけの名前ではありません。
今、生きている私が、
仏・法・僧の三宝をよりどころとして、
教えを聞きながら人生を歩んでいく。
その仏弟子としての名告りが「法名」であり、
その新たな歩みの出発点となるのが、帰敬式(おかみそり)です。
だからこそ、
「死んだら仏になる」その前に、
生きている今、仏法に遇ってほしい。
今回の帰敬式が、一人でも多くの方にとって、そんなご縁になればと思います。
ぜひ、一緒に仏弟子として歩んでまいりましょう🙏
もちろん、帰敬式に年齢制限はありません🤗
子どもも大人も、みんな仏弟子です🙏

皆様、大変ご無沙汰しております。
メッセージカード会会長です。
「貰って嬉しい、置いて嬉しい」
をモットーに、日々コツコツと活動させていただいております🙏
世界に広がれ、カードの輪‼️
そもそも、この活動の始まりはお参り先での控え室。
そっとメッセージカードを置いて帰る。
ただし……
どこにでも置いているわけではありません😹
そんな私が、最近ふと思うのです。
お参り先の控え室だけが、
メッセージカードの居場所なのだろうか。
居酒屋でもいい。
喫茶店でもいい。
どこかで誰かが見つけて、
「なんだこれ😹」
と思いながらも、持って帰ってくれたらそれでいいのではないか。
さて、昨日は西八祭りが雨☔️で中止。
念仏踊りも踊れなくなってしまったので、
急遽予定を変更して焼き鳥屋さんへ🍺
そこで、重大なことに気がつきました。
メッセージカード持ってくるの忘れた😹
世界に広げる以前の問題です。
お参り先では忖度し、
焼き鳥屋では忘れる。
メッセージカード会会長として、
まだまだ修行が足りません🙏🤣
それでも懲りずに、
世界に広がれ、カードの輪‼️🌏





今日は、御門徒さんが坊主バーに来てくださいました。
いや〜接客って難しいですね😹
まだまだです💦💦
努力精進します。これに懲りずにまた来てくださいね。お待ちしております🙏😌✨

「どうする家康」を見て、
出世する人、しない人という記事を思い出したました。それには、『出世する人の特徴は、まず「仕事ができない」ということだ。』と書かれている。以下引用
若い頃、仕事ができる有能な人材がたくさんいたが、こういう人は以外にも出世しない。
むしろ「大丈夫かな」と心配になった人たちのほうが次々と要職に就いていたりする。
あらためて彼らの立ち居振る舞いを考察してみると、「仕事ができない」というより、「できない」ことをさらけ出しているようである。自分はできないので、人にやってもらうしかなく、それを自覚するゆえか愛想がよく、まわりも思わず手を貸したくなるのである。
実際、こういう人がリーダーになると組織は活性化する。・・・リーダーがダメだから俺が頑張ってあげようと、優越感とともに能力以上の成果を上げたりするのである。
逆に、リーダーが「できる人」だと部下は従うしかない。ミスを犯さないように萎縮したりするので、アイデアもリーダーの考えのミニチュアになりがち。
リーダーには統率力や決断力が必要などとよくいわれるが、本当に大切なのは本人の能力より、人の能力を引き出す「引力」なのではないだろうか。
本来「仕事」とは他人に仕える事。「できない人」に代わってやる。できないで困っていることを解決してあげるのが仕事なのである。
「できる人」ばかりがいると、この世に仕事は発生しないわけで、そう考えると「できない」ということのほうが経済にとっても重要な要素なのだ。
「できる」というのはその先の世界が見えていないから、そう思えてしまうわけで、それは才能がないという証明なのだ」
とても本質をついたご意見です。私もリーダーシップの研修やセミナーでは、上司とて人間なのだから完璧なスーパーマンである必要はない、むしろ、弱みを開示してしまいましょう、とお話しています。
これは情しに限らず、部下の方々にとっても組織で働く上には大切なステップです。
若手や女性向けには自分の弱さをさらけ出す強さを鍛えましょうというメッセージをお話しています。それは、ドラッカーの言うように平凡をして非凡をなさしめるのが組織だからです。
「できる人」になろうという焦りが溢れる昨今ですが、「できない人」、つまりほとんど全ての普通の人こそが活躍すべきなのです。また「できない」ということを自覚するということは伸びしろがあるともいえるのです。前川 孝雄 (はたらく論)より
「どうする家康」の家康も、どうしよう、どうしようと、何か頼りがなく僕が思う家康像とは全く違う。
私も毎日、どうしようの毎日。
しかし、ドラマも、そうだがリーダーが頼りないと周りがしっかりしてるなと思う。
「住職が頼りないと、門徒さんがしっかりするから大丈夫だ、分ちゃん」と、言われた事があります。
こういう時、先生ならどうするかな?みんなならどうするかな?とどうしよう、どうしようの毎日。
僕も頼りないから、坊守に頼りっぱなし。
今日も「進左退右」を忘れずに頑張ろうと思います。
今日は予約が6名。帰って坊主バーの準備だ。
寝不足だどうしよう😹