不安に立つ

安田先生は、

「本願の智慧が“不安”という形で人間に来ているんです。不安が如来なんですわ」

とおっしゃっています。

その言葉を読んだとき、まさに自分自身のことを語られているように感じました。

坊さんをやめることもできない。

かといって、坊さんとしての自信があるわけでもない。

このまま続けていけるのか。

将来どうなるのか。

そんな不安の中に立っている自分がいます。

宗祖親鸞聖人に向き合うということは、

不安を消して強くなることではなく、

不安に立って歩まれた宗祖の姿に、

自分の生きる姿勢を学ぶことなのだと思います。

宗祖に会うとは、

自分に会うということ。

今、私はどういう在り方をしているのか。

どういう生き方をしているのか。

そこに目を覚まさせるはたらきが、

願であり、仏である。

だから、仏教は結果を問わない。今が全てで結果であるから。

今、この身をどう生きているのか。

その事実に目を覚ましていく教えなのだと思います。

命が文句を言っているわけではない。

心臓が文句を言っているわけでもない。

それなのに私は、

与えられている事実に気づかず、

足りないものばかりを見て、

不安を悪いものとして遠ざけようとしている。

けれど、

その不安こそが、

私を呼び覚まそうとしているのかもしれません。

不安が如来なんですわ。

この言葉の前に、

今日もまた立たされています。