今日は妻が帰省中なのでひとりぼっち。
先生をお誘いしてお食事会。お忙しい中来てくれました。
いろいろ語り合い時間はあっと言う間。いつも有難う御座います🙏😹🙇
今日は妻が帰省中なのでひとりぼっち。
先生をお誘いしてお食事会。お忙しい中来てくれました。
いろいろ語り合い時間はあっと言う間。いつも有難う御座います🙏😹🙇
たまたま、フラッと入った居酒屋屋さん。
最初に、壁に貼ってあった子ども食堂の写真が目に飛び込んできた。
今度、何か一緒にコラボしましょうとオーナーさん。
はい!と言いました😊



母子家庭で育ち、再婚した父とも折り合いが悪く、新聞配達の毎日で自由なんてありませんでした。
遊びに行くこともできない青春時代を過ごしたせいか、こんな変てこりんな性格になってしまったのかもしれません。
あの人は敵か味方か。
傷つかないように自分を守り、人間不信になってしまいます。
本当は人を信じたいのに、傷つくのが怖い。
子どもの頃、本来なら守ってくれるはずの大人との関係で苦労すると、
「誰を信じていいのかわからない」
そんな感覚が残るのでしょう。
しかし今、八王子で、
「住職だから」ではなく、
「まこっちゃんだから一緒に飲もう」
と言ってくださるご近所さんがいます。
親鸞聖人も、自分を立派な人間として語られたのではなく、
「愚禿親鸞」
と名乗られました。
平野修先生の
「あいつは嫌い
これは駄目
あいつは困る
こいつはいいと
切り続ける
私はどうも
ハサミのようだ」
という言葉を思い出します。
あの人が悪い、この人が良いと切り分けているのは、私自身でした。
まずは、
「私はハサミのようだなぁ」
と気づかされるところから始まるのでしょう。
ずいぶん遠回りしてるな〜。
その経験が無駄ではなかったと言い切れるほど立派ではありません。
それでも、
「あの遠回りも、今の私も無駄ではなかった」
と頷ける人間に、そういうものに私はなりたい。
まだ頷けない私がいるから。
