ゔ〜お盆の法話…のんびりしてたら、急に法務が立て込んで時間がないやばい…💦
今回は7本柱で🙏🙇
・「盂蘭盆=ウランバーナ(倒懸)」の語源。
・目連尊者の物語を単なる親孝行の話ではなく、人間の執着や煩悩の問題として読んでいく。餓鬼道は、欲深い者がその報いとして赴く世界。自分の欲望というものが決して成就しない世界。
・ 「汝一人のおよぶところにあらず」を、自己の力への慢心への戒めとして受け止めていく。(神通力でも救えなかった)
・お母さんに対する愛情というものが強かった。お母さんだけ助かれば良い、他の人はどうなってもいい。その愛情の強さゆえに周りが見えなくなってしまった。母親一人に食料を与えることができたとしても、それは本当の意味での救いにはならない。個人的な救いというものが結局、争いを生む火種になっていくということもある。
・ビルケナウの収容所から輸送されていたユダヤ人の貨車の中に、ドイツ人の労働者がパンを投げ込むということがあった。その一切れのパンをめぐって、飢えた群衆が殺し合いを始めてしまった。
・1人だけの救いではなく、三宝の「僧」の意味、仲間と共に教えを確かめ合う存在として丁寧に説明していく。一緒に教えを聞き伝えていく仲間がいなければ、どれだけそれが立派な素晴らしい教えであっても、必ずそれは独りよがりのものになってしまう。
・真宗は「追善供養ではなく、亡き人を縁として私が聞法するお盆、生きている事のいのちの不思議」へ結んでいく。追善というのは、私たちが死者をなんとか救ってあげようという発想。私と亡き人が遠く離れて距離が出来てしまっている。念仏によって遠くの誰かを供養するというのではなくて、すでに先祖であれ亡き人であれ、私の命として生きておられるということ。私が生きていることの中に、いつでも亡き人がいる。大切なその人は、どこかに知らない場所に消えてしまったわけではない。あなたの命としてあなたの中に生きている。無数の命のつながりがあって、今ここに私の命は生きて働いている。無量寿を生きよと呼びかけて下さっている。


