スプレー

あまりの暑さに、つい買ってしまいました😹💦

シュッとひと吹きすると、ひんやり涼しくて気持ちいいですね😊

今年の夏も本当に厳しい暑さです☀️💦

水分と塩分をしっかり補給して、無理をせず、休めるときはしっかり休みながら過ごしましょう🙏

今日も熱中症に気をつけて、それぞれの場所で、どうぞご無理のありませんように🙏

時間が無い

ゔ〜お盆の法話…のんびりしてたら、急に法務が立て込んで時間がないやばい…💦

今回は7本柱で🙏🙇

・「盂蘭盆=ウランバーナ(倒懸)」の語源。

・目連尊者の物語を単なる親孝行の話ではなく、人間の執着や煩悩の問題として読んでいく。餓鬼道は、欲深い者がその報いとして赴く世界。自分の欲望というものが決して成就しない世界。

・ 「汝一人のおよぶところにあらず」を、自己の力への慢心への戒めとして受け止めていく。(神通力でも救えなかった)

・お母さんに対する愛情というものが強かった。お母さんだけ助かれば良い、他の人はどうなってもいい。その愛情の強さゆえに周りが見えなくなってしまった。母親一人に食料を与えることができたとしても、それは本当の意味での救いにはならない。個人的な救いというものが結局、争いを生む火種になっていくということもある。

・ビルケナウの収容所から輸送されていたユダヤ人の貨車の中に、ドイツ人の労働者がパンを投げ込むということがあった。その一切れのパンをめぐって、飢えた群衆が殺し合いを始めてしまった。

・1人だけの救いではなく、三宝の「僧」の意味、仲間と共に教えを確かめ合う存在として丁寧に説明していく。一緒に教えを聞き伝えていく仲間がいなければ、どれだけそれが立派な素晴らしい教えであっても、必ずそれは独りよがりのものになってしまう。

・真宗は「追善供養ではなく、亡き人を縁として私が聞法するお盆、生きている事のいのちの不思議」へ結んでいく。追善というのは、私たちが死者をなんとか救ってあげようという発想。私と亡き人が遠く離れて距離が出来てしまっている。念仏によって遠くの誰かを供養するというのではなくて、すでに先祖であれ亡き人であれ、私の命として生きておられるということ。私が生きていることの中に、いつでも亡き人がいる。大切なその人は、どこかに知らない場所に消えてしまったわけではない。あなたの命としてあなたの中に生きている。無数の命のつながりがあって、今ここに私の命は生きて働いている。無量寿を生きよと呼びかけて下さっている。

心配

最近、お寺の火事のニュースを耳にすることが増えました。

今日、ご近所さんが仕事の休憩時間に電話をくださり、
「最近、お寺の火事が増えているみたいだけど、大丈夫?」
と心配してくださいました。

火災対策のことまで一緒に考えてくださり、そのお気持ちが本当に有り難く、胸がジーンとしました。

その時ふと、
「開教とは、こういうことなのかもしれない」
と思いました。

お寺のご門徒さんというわけではありません。

それでも、お寺のことを気にかけ、住職のことを心配してくださる方がいる。

住職は、何か特別なことができるわけではありません。

ただ、そこにいる。住むのが仕事。

それだけで「心配してくれる人」がいる。

浄土真宗で阿弥陀さまは、私たちの人生を思い通りに変えてくださる存在ではありません。

苦しみを力ずくで取り除くのでもありません。

それでも、どんな時も私を見捨てず、ともにいてくださる。

「あなたは一人ではない」

その願いが、いつも私に向けられています。

今日の一本の電話が、そのことをあらためて教えてくれました。
いるだけで安心と思っていただける。
そんなお寺、そんな住職でありたいと、今日の電話が教えてくれました🙏

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」

と。

南無阿弥陀仏

宿題

別院時代のプリントが出てきた。

いつだったろうか?

こういう宿題を出す輪番さんって今いるのかな〜

本当に有難いご縁でした🙏

ピッピ

公的な書類だからこそ、、、

細かなことですが気になりました。

以前も氏名の誤記があり、今回は封筒の部署名が手書きで修正されていました。

僕も間違えるし、完璧な人間ではないので人の事言えませんが、それでも、大切な公的書類は、手書きでピッピっと訂正するのではなく、印刷し直して発送していただけたら、不信感も無くなり安心できます🙏

そこんとこ、どうぞ宜しくお願い申し上げます🙇

感情

いや〜、びっくりしましたね。
今日の新聞に、「人の感情を制御できる可能性」が研究で明らかになったという記事が載っていました。

PTSDや極度の不安症など、苦しむ方々の治療には大きな希望になるかもしれません。

しかし一方で、この技術が権力者や政治、企業などによって、人の感情を意図的に誘導するために使われるようになったら…。(そして、宗教にも…)
そんな世界を想像すると、少し恐ろしくも感じます。

浄土真宗では、人間の姿をこのように見つめています。

「『凡夫(ぼんぶ)』といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲(よく)もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」
(『一念多念文意』)

私たちは、怒りや憎しみ、嫉妬などの感情をなくして生きられる存在ではありません。

だからこそ真宗は、感情を無理に消そうとするのではなく、そのような私自身の姿に気づかされていく教えなのだと思います。

科学は人間に「できること」を増やしてくれます。
だからこそ、その力を「何のために使うのか」という問いを忘れてはならないのでしょうね🙏

夫婦喧嘩が無くなってしまったらどうしましょう笑(それはそれで平和ですが)
感情があるからこその人間らしさがあるのだと思います。

制御する方も、される方も凡夫には変わりありません。

清き食

昨日は恒例のお食事会🤤

み光のもとわれ今、さいわいに
この清き食パンをうく
いただきます

それにしても、飲み放題1880円。スーパードライの大瓶2つ頼んだら余裕で元とれますね😹

坊守もコツコツ、メッセージカード普及促進委員会に貢献してくれてますが、果たして吉野家で置けるかどうか。ファミレスで置けるか。場所を選んでるのではないかと、問いかけられております。

清き食には変わりは無い🙏

三輪車

幼い頃は、三輪車に夢中だった子ども。🚲😊
海では思いきり笑って遊び、夏を満喫していました🌊

気がつけば…
大して変わってない気もします😹

世間は三連休の真っ只中。夏休みに入った方も多いようですね😊

あの頃も、今も。
一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

今日もそれぞれの場所で、良い一日となりますように🙏😌