両重の因縁

御門徒さんから、

「西八王子と西国分寺を間違えてしまいました💦」

と連絡が。

「あ、ゆっくりで大丈夫ですよ。気をつけてお越しください😊」

と電話を切りました。

さて、少し時間ができたなぁと思っていると、ちょうど来月号の『真宗』が届きました🙏

パラパラと読んでいると……

ん?
こ、これは……。

「そもそも、私たちは自分で生まれたいと願ったわけではありません。」

そして、

「強制的に贈与された『いのち』」

という言葉。

う〜ん。

私は「生まれたい、生まれたい」と、いのちは「生きよう、生きよう」と、理屈抜きに、無条件に生まれてきた。

そして、私が「私」として考えることのできる以前から、いつ始まったのかさえ分からないほど遠いいのちの営みが、途切れることなく、この身まで届けられてきた。

その「いのちの事実」を飛び越えて、果たして「強制的に贈与された『いのち』」と言ってしまってよいのだろうか。

「頼んでもいないのに、勝手に生まれてきたいのち」など、本当にあるのだろうか。

そもそも「自分で生まれたいと願ったわけではない」と語っている、その「自分」とは、いつから存在していたのだろう。

「生まれたい」と願ったか、願わなかったかを考える以前に、いのちはすでに生きようとしていた。

そして、そのいのちの営みのただ中に、この「私」が生まれてきたのではないだろうか。

その事実を忘れてしまえば、

「頼んでもいない」
「勝手に生まれてきた」
「こんなはずではなかった」

と、まるでこのいのちを強制されたかのように、愚痴を言いながら一生を終えてしまうことになるのではないかなぁ。

……などと、御門徒さんを待ちながら考えておりました🙏

あ、御門徒さんが到着されました😊🙏