100点

100点💯凄いじゃん!
パパ100点なんてとったことないよ😄

人類に捧げる教団

『もっともっと悩まねばなりません。人類の様々な問題が私たちに圧しかかっているのです。安っぽい喜びと安心にひたるような信仰に逃避していることはできません。むしろそういう安っぽい信仰を打ち破っていくのが浄土真宗です』。安田理深師

『浄土真宗は人類に開かれた教えです。ですから、誰が聞いてもよろしいのです。真宗門徒だけの親鸞聖人ではないのです。すべての宗教の地下鉱脈なのです。仏教徒だけではなく、キリスト教徒でも、イスラム教徒でも真宗に遇わなければなりません。

同朋会運動は、門徒を増やしたり、強くしたりするための運動ではありません。キリスト教徒が親鸞聖人の教えを聞いたら、キリスト教をやめて真宗門徒になったり、仏教徒になるのではないのです。

キリスト教徒が浄土真宗の教えに遇うと、キリスト教がより深くいただけるのです。イスラム教徒が、真宗門徒に改宗するのでもありません。イスラム教がいよいよ深く頷かれるのです。そういう「生まれて生きる」という一切衆生に開かれた教えが浄土真宗なのです」と。

私たちは、一宗一派という狭い中をウロウロしていたのではないかと思います。御遠忌を契機に、閉じられた殻を破っていかなければなりません。 (藤田輪番)

中野誠二先生は講義の中で「お勤め、月参り以外の時に何をしていますか」と呼びかけ、「やらなくてはいけないことを先送りにしているということはないですか?」と、法務以外の生活をどう過ごしているのかということが大事ではないかと指摘してくださいました。そして「真宗大谷派教師として生きる意味は、自らが仏法に生きる道を見いだせるかどうかである」と力強く教えてくださいました。

南無阿弥陀仏

便は茶色い宝石箱

先日、妻が夜仕事から帰宅した後、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授福田真嗣先生のWEBセミナーを受けていた。

仕事柄大変だな〜なんて思って自分は仕事のパソコンに向かって、何となく耳を傾けていたら、「仕事じゃなくてまこちゃんのためだよ〜」と言っていた。私の過敏性腸症候群を疑った彼女はわたくしのために、セミナーを受けてくれていたのだ。

何て優しい人なんだ、僕のお腹を心配してくれて有難うと心の中で思いながら、また仕事のパソコンに向かい何となく聴いていたら、福田先生の「便は茶色い宝石」という言葉が耳に飛び込んできた。

え?!

宝石?!

どうして、便の研究をしようと思ったのかなとは思っていましたが、まさか宝石までとは…

次の言葉が思い浮かんだ。

「辺見庸という作家が対談で次のような話をしております。「ぼくは今、非常に興味があるのは臭いなんです。臭いに無性の関心がある。というのも、地下鉄に乗っていたら、排泄物の臭いを消す薬という広告を見たんですね。これが高校生の間で流行っているという。

これが常備だっていうんです。ぼくは自分の排泄物も臭わさないで、人生いったい何が面白いのかと思う。さっきいった黒板のチョークを黒板消しで消すようにして人を殺せるというのもそれです。相手の臭いとか痛みとか手触り、そういうものを全部排除する社会になっている。相手の手触りとか言葉とか息づかいとか肌の感触とか、最近の日本人はそういうのが嫌なんです。直接的に交わるのが嫌なんです。臭いにまみれたり、汗にまみれたりすることを非常に嫌がる。美しさ醜さ、この基準を今の日本のようにこれほど単純にステレオタイプ化した歴史というのも人類史の中にないと思う。」という発言です。誠にその通りだと思います。

現代の人間には顔がないという。個性がない、特性がない。みんな考えることも、行動することも、相貌さえも均一化してきているし、均一化しようとしている。他と同じであることに安らぎを求めるということは、同じでないものを差別し排除する世界を作り出すのである。そこには他者との本当の意味での関係は生まれない。お互いの悲しみや痛みを共有する本当の関係が生まれてこないのです。誰にとっても、ありのままの自分を受け入れてくれる「ふところ」が欲しいのです。差異は差異で光輝く。差異があるから学べる世界を発見する。」

心して、うんちドリルを体のバロメーターとして向き合っていきたいと思います😌💩✨

南無阿弥陀仏

九州大谷短期大学教授の宮城先生が、茶川賞受賞作家の重兼芳子さんの講演記録を紹介されておりました。「医療と宗教を考える会」での講演です。涙なしには私は読めませんでした。荒筋を申し上げますと、重兼さんは股関節脱臼で生まれ、今の時代ではすぐわかるのですが、昔のことですから発見できなかったのです。十六才の時、何回目かの手術を受け入院されていた時、ご本人に何のことわりもなしに突然大学病院の階段教室につれていかれ、沢山の青年医師の前でショートパンツー枚にされて、股関節脱臼の症例の材料にされたのです。

重兼さんは「世の中の権威ある人は人間を部品として見るのでないか?一つの目的のために、目的を遂行するためには、平気で小さな声を消していく。声なき声の人の痛みとか、悲しみを無視する。」と言われます。心に深い傷と悲しみを受けられたのです。

その後、障害をもちながら農家に嫁ぎ、子供が生まれますが、戦時中の困窮の中にあって四ケ月で死んでしまいます。権威に立って自分を物としてしか扱わなかった大学教授に対して、火葬場に勤められていた若い職員の、悲しみの絶頂にある重兼さんや赤子に対する態度が、何ともいえない優しさが溢れていることを感じられたのです。そして四ヶ月の短い赤子の人生に意味があったのかと、人間として生きることの意味をたずねられます。

人間は清く・正しく・美しくという理想を立てるけれども、人間の実存はそんな甘いものではなく、さまざまな矛盾とか、愚かなもの、暗いもの、悲しいものを持っているのだといわれます。

親鸞聖人は、「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」と自分を名告り、清く・正しく・美しく生きていくことのできない自身を悲されて

いるのです。

南無阿弥陀仏

折伏

お年賀

「本年もどうぞよろしくお願いいたします

開教寺院を開基した前住職(父親)も同じ悩みを抱えながら日々聞法生活をしていました

ある時は深刻な、うつ病になって自殺未遂したりと… 家族は振り回されて大変でしたが…

そういう父親の背中を見て育ちました

開教寺院はホントに大変だと痛感しています

今、真宗会館のココロダイアルや、

(一社)仏教情報センターでテレホン相談員として、悩む方の声を聞く機会を頂いております

仏教の教えに救いを求めている人が潜在的に多いことを実感しています

どうぞ、頑張ってください。

応援しております

創価学会は元々真宗門徒が多いので、回心させてください。笑笑

大谷派相談員が少ないので、よろしければ国分さんも参加しませんか?

2ヶ月に一回くらいです

是非とも、ご検討よろしくお願いいたします。」

わたくしでは、役不足ですね申し訳御座いません。

同朋会運動とは、

「真宗門徒に洗脳する運動ではない。イスラム教だろうが、キリスト教だろうが、創価学会だろうが、何でもいいんです。親鸞聖人の教えをいただけば、今までよりももっと自分の教えを深くいただける教えなのです。それが同朋会運動です」和田先生

とお聞きしております。

「60年近く前、時代的には創価学会の折伏行進の頃でした。全日本仏教青年会があり、各宗派の仏教青年会ができつつありました。そういう時期でしたので、同級生たちと何かしなければという思いが募り、智山青年会を結成しました」(昭和33年1月)。

その当時の住職は何をされていたのか?

真宗門徒が折伏されたと嘆いている場合ではないのではないのかな?

みんなちがってみんないい。

違うもの同士が共に救われていく道が真宗ではないか。

開教に縄張りなんてないのである。

南無阿弥陀仏