便は茶色い宝石箱

先日、妻が夜仕事から帰宅した後、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授福田真嗣先生のWEBセミナーを受けていた。

仕事柄大変だな〜なんて思って自分は仕事のパソコンに向かって、何となく耳を傾けていたら、「仕事じゃなくてまこちゃんのためだよ〜」と言っていた。私の過敏性腸症候群を疑った彼女はわたくしのために、セミナーを受けてくれていたのだ。

何て優しい人なんだ、僕のお腹を心配してくれて有難うと心の中で思いながら、また仕事のパソコンに向かい何となく聴いていたら、福田先生の「便は茶色い宝石」という言葉が耳に飛び込んできた。

え?!

宝石?!

どうして、便の研究をしようと思ったのかなとは思っていましたが、まさか宝石までとは…

次の言葉が思い浮かんだ。

「辺見庸という作家が対談で次のような話をしております。「ぼくは今、非常に興味があるのは臭いなんです。臭いに無性の関心がある。というのも、地下鉄に乗っていたら、排泄物の臭いを消す薬という広告を見たんですね。これが高校生の間で流行っているという。

これが常備だっていうんです。ぼくは自分の排泄物も臭わさないで、人生いったい何が面白いのかと思う。さっきいった黒板のチョークを黒板消しで消すようにして人を殺せるというのもそれです。相手の臭いとか痛みとか手触り、そういうものを全部排除する社会になっている。相手の手触りとか言葉とか息づかいとか肌の感触とか、最近の日本人はそういうのが嫌なんです。直接的に交わるのが嫌なんです。臭いにまみれたり、汗にまみれたりすることを非常に嫌がる。美しさ醜さ、この基準を今の日本のようにこれほど単純にステレオタイプ化した歴史というのも人類史の中にないと思う。」という発言です。誠にその通りだと思います。

現代の人間には顔がないという。個性がない、特性がない。みんな考えることも、行動することも、相貌さえも均一化してきているし、均一化しようとしている。他と同じであることに安らぎを求めるということは、同じでないものを差別し排除する世界を作り出すのである。そこには他者との本当の意味での関係は生まれない。お互いの悲しみや痛みを共有する本当の関係が生まれてこないのです。誰にとっても、ありのままの自分を受け入れてくれる「ふところ」が欲しいのです。差異は差異で光輝く。差異があるから学べる世界を発見する。」

心して、うんちドリルを体のバロメーターとして向き合っていきたいと思います😌💩✨

南無阿弥陀仏

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