昨日のお通夜でお配りした正信偈の冊子。
冊子が足りなく、2人で一冊を見ていただくことに🙏💦
葬儀場のスタッフの方から、「冊子は回収しますか?」
と聞かれたので、「いえ、差し上げますので、そのままで結構です」
とお答えしました。そして今日、葬儀会場に伺うと、
「昨日の冊子、余ったのでお返しします」
と、テーブルの上にポンと。
えっ⁉️
余った⁉️
いやいや、昨日は足りなかったんですけど〜‼️😹💦
しかも、差し上げますとお伝えしたのに……。
悪気はないとはいえ、なんだか悲しくなりました🥲
通夜や法事などで、少しでも正信偈に触れていただきたいという願いから、最近お配りするようになりました。
最初に用意した約200冊も、あっという間になくなり、先日さらに300冊を注文しました。
ところが、ふと思ったのです。
毎回差し上げていたら、何百冊あっても足りないじゃないか〜⁉️😹💦
やっぱり、回収した方がいいのかなぁ。
でも、せっかくの仏縁。
ご自宅に持ち帰っていただき、いつかまた正信偈を開いていただけたら。
そんな思いもあります。
もちろん、持ち帰ったからといって、必ず読んでいただけるわけではありません。
反対に、回収したからといって、仏法とのご縁がなくなるわけでもありません。
仏事は如来のお手回し。
ご縁を整えるのは私の仕事。
そのご縁がどうはたらくかは、私の思いどおりになるものではありません。
そう考えると、回収するのも一つの方法なのかもしれませんね。
それでも、できることなら差し上げたいなぁ。
そして、今回の出来事で気づかされたこと。
「余った」という何気ない一言に、悲しくなってしまう私がいる。
仏法を大切にしてほしいという願いの中に、自分の思いも大切にしてほしいという心があるのでしょう。
相手の言葉に引っかかりながら、結局は自分自身の心を知らされる。
そんな出来事でした🙏
それにしても……。
余ったんじゃなくて、足りなかったんですよ〜‼️😹💦