来月、久しぶりにペットの合同供養にお招きいただきました。
品川にいた頃は何度もお勤めさせていただきましたが、八王子へ来てからはお断りすることが多く、今回たまたま予定が空いていたのでお受けしました。
ペットを亡くされた悲しみは、言葉では表せないほど深いものです。
会場は、人が入りきれないほど多くの方がお参りに来られます。
昨日のお寺の盂蘭盆会は一人でした。
人が集まることと、仏法を聞くことは同じではありません。けれども、この光景を見るたびに、「人は何を求めてお寺へ来るのだろう」「お寺とは何だろう」「供養とは何だろう」と、改めて考えさせられます。
お寺もまた、「手を合わせたい」と思っていただける場所でありたい。そう願っています。
その中で、
一人ひとりの大切な子のお名前を読み上げながらお勤めをいたします。
私の家でも猫を二匹飼っています。
「ペット」という一言では言い表せないほど、大切な家族の一員です。
保護猫活動というほど立派なことではありませんが、育てているつもりが、実は私の方が育てられ、教えられることがたくさんあります。
それは、猫は人間のように明日のために生きてはいないということです。
今を一生懸命に生き、
今を一生懸命に遊び、
今を一生懸命に眠る。
「どうして猫に生まれたのだろう」
などとは考えていないでしょう。
ありのままの自分を受け入れ、一日一日を懸命に生きています。
もちろん、本当のことは猫に聞いてみなければ分かりませんが、私はそんなふうに感じています。
一方、私たちは違います。
明日のために今日を生きてしまいがちです。
しかし、明日を迎えられる保証はどこにもありません。
熊本地震をはじめ、多くの災害が教えてくれたように、何が起こるかは誰にも分かりません。
それでも私たちは、今日を犠牲にして明日の準備ばかりをしてしまいます。
過去を悔やみ、
今に不満を抱き、
未来を心配して生きています。
だからこそ仏さまは、
「心配しなくても大丈夫だよ」
と、いつも私たちを案じてくださっています。
供養とは、亡き命のために何かを積み重ねることではありません。
亡き命とのご縁を通して、今を生きる私自身が仏さまに育てられていくことです。
亡き子たちもまた、今なお私たちを育て続けてくれています。
その尊いご縁に感謝しながら、今日は皆さまとご一緒に手を合わせお念仏申したいと思います。





