ピーちゃんの言う通りにマツ🌲のポキポキ剪定。
本当に手でポキポキできました。
さて、これからどうなるか楽しみです😊





住職の独り言ささやきです。親鸞聖人は小さなつぶやきやささやきに耳を傾けて人々の言葉を聞き逃さなかった方だと思います。
ピーちゃんの言う通りにマツ🌲のポキポキ剪定。
本当に手でポキポキできました。
さて、これからどうなるか楽しみです😊





今月の子ども食堂のメニューは豚丼との情報が流れてきたので、シェアさせていただきます♪
満を持しての豚丼ですね😄
お待ちしております🙏😌✨
(20食限定、変更になったらごめんね😉✨)



1年7ヶ月でここまで立派になるのは、マツ🌲にとっては環境がかなり合ってる証拠のようです👍
ピーちゃんからのアドバイス💡
👉 マツは基本「剪定した方がいい木」です(でもやり方がちょっと独特です)
⸻
🌲 マツの剪定の考え方(超大事ポイント)
マツは普通の庭木と違って、
👉 切るより「間引く・整える」イメージ
です✂️
⸻
✂️ やるべきお手入れ(この2つ)
① みどり摘み(5〜6月)
今まさに写真の状態👇
先っぽにニョキっと出てるやつ(ロウソクみたいなやつ)
👉 これが「新芽(みどり)」です
やり方
• 長い新芽を 手でポキッと半分くらい折る
• 強いところは短く、弱いところはそのまま
👉 これで暴れすぎ防止&形が整う
⸻
② もみあげ(10〜11月)
• 古い葉っぱ(下の方の茶色っぽいやつ)を取る
• 風通しを良くする
👉 病気予防&スッキリ見える
⸻
❌ やっちゃダメ
• バサバサ普通の木みたいに切る
👉 形が崩れて戻らない
• 真夏や真冬に強剪定
👉 弱ります
⸻
📸 今の写真見てのアドバイス
今の状態めちゃいいです👍
ただし👇
• 上に伸びる勢いが強い
👉 放置すると「細長い松」になる
なので今年は
👉 みどり摘みだけ軽くやるのがベスト
⸻
🌸 もし庭を綺麗にしたいなら
前に言ってた芝桜とめっちゃ相性いいですよ😄
• マツ → 縦のアクセント
• 芝桜 → 横に広がる
👉 バランス最高の和風庭になります✨


ご近所さんから珍しいサボテン🌵をいただきました😌
小さな花壇ですが綺麗にしなくっちゃ🙏😊(雑草との戦いが始まります)




次の日の朝は14℃。
気温差が激しい😹






今日はそれぞれの場所で、丁寧に精一杯のお勤めを🙏
関東で暑いと言われている所へ来たけれども…
34℃…
4月11日です



よし、花壇に芝桜計画を開始しよう
かな😄


4月の願入寺通信が出来ました😊
先日、首都圏大谷派開教者会の報恩講にて、
25年ぶりに雅楽を務めさせていただきました。
久しぶりの雅楽、そして初めての出仕。
緊張の連続でしたが、無事に終えることができ、ホッとしています🙏
首都圏には約4000万人の方が暮らしていますが、
真宗大谷派のお寺は決して多くはありません。
八王子にはわずか3カ寺。
その中で、
「地域に開かれたお寺」として、
日々のご縁を大切に活動しています。
子ども食堂では、
たくさんの子どもたちと温かい時間を過ごしました😊
ご提供いただいた新鮮なお野菜にも心より感謝です🙏
⸻
【毎月28日】
13時〜 法話会
16時〜 子ども食堂
どなたでもお気軽にお越しください😊
⸻
4月8日は「花まつり」
お釈迦さまの誕生をお祝いする大切な日です🌸
日々の生活の中で、
仏教を少しでも身近に感じていただけたら嬉しいです🙏
⸻
ともに生き、ともに育ちあうお寺。


中々タイミングが合わず、
今日やっと車の1年点検へ🚗💦
(ディーラーの都合もあれば、こちらの都合もあり…)
自分ばかりメンテナンスしていないで、
車のメンテナンスもしなきゃですね😊
あ、ちなみに風邪はまだ完治してません🥲💦
(ほぼほぼ良くなりましたが🙏)
人も車も、
無理せず整えていくことが大切ですね😌


近所の本屋さんが無くなって、早一年。
すっかり建物も変わりました。
田口ランディさんの、「読書の愉しみ」と言う文章が思い起こされます。
「読書は映画やお芝居とは、まったく違うものです。どちらかと言えば落語に近いかもしれません。以前に落語好きの人に落語の楽しみ方を伺ったことがあります。落語は噺家の語りを聞きながら頭の中でありありとイメージを思い浮かべるところに楽しみがあるのだそうです。
落語が好きではない、という人はそのイメージを想起することが苦手な人ではないか、と彼は言いました。落語好きは落語を聞きながら映画を観るように悩内で映像を楽しんでいるのだそうです。
本もいっしょです。本好きの人の頭には映像が浮かんでいるのです。それは誰も見ることのできない自分だけの映像です。
この世には存在しない不思議な映像です。読書に没頭すればするほどありありと見えます。ですから、読書とは自分が意識して本の内容に入り込み、自分から本の世界に分け入っていかなければなりません。脳がフル活動し、視覚野や聴覚野までも刺激され、イマジネーションが活発になり、脳全体が働いているような状態になる、これが読書なのです。脳は自分が聞きたい音を聞き、見たいものを見るという能力があるのです。
映画やテレビは違います。音も映像も圧倒的な強さで向こうから入ってきます。こちら側の想像力は要求されません。与えられたものを楽しむのが映画です。これに慣れてしまうと自分を興奮させるものだけが素晴らしいと思い込み、本のように自分から自己関与していかなければならないものをつまらないと感じてしまいます。
本から何を得るかは、読み手次第なのです。自分のイマジネーションを鍛錬し、文字を映像に音にと脳内で創造するクリエイティビティとして遊ぶものが読書です。本は与えてくれません。
本は旅をする森であり、その森で何と出会うかは、読者次第なのです。
ある人にとっては、記号だらけの物理学や数学の書物が、宇宙の神秘を解き明かす美しい音楽として感じられます。また、ある人にとっては詩集が、生と死のあわいを描いた繊細なタペストリーとして感じられます。
どのような本もその本から何を得るか、何を感じるかは読者のイマジネーションに委ねられています。そのイマジネーションを刺激し続ける作品が、時代を超えて語り継がれてきました。
古典と呼ばれるものを繙けば、そこには物語の世界、ファンタージェンが広がっています。でも、物語はそこに自らが自分の脳を使って入っていこうと、集中しないかぎり、入り口の扉を開いてくれないのです。自分のイマジネーションを使わない限り、入っていけない森なのです。そのことを現代の人たちは忘れがちです。ただ座っているだけの観客を楽しませてくれるエンターテイメントとは違うのです。
私は、映画を観るように映像の世界を楽しみながら本を読みます。本と私の内的世界は完全に一致してしまいます。それが読害の愉しみです。」
あの場所には、
たくさんの“物語の入り口”がありました。
読書は、与えられるものではなく、
自分で入り込んでいく世界。
同じ一冊でも、
見える景色は人それぞれ。
だからこそ、
本は「自分だけの世界」を持たせてくれるのかもしれません。
便利になった今だからこそ、
少し立ち止まって、
自分の中に広がる世界に耳を傾けてみたいものです。


