「死にたい」は、実は「生きたい」

SNSに「死にたい」は、実は「生きたい」

 無縁社会とさけばれて久しい今日この頃ですが、隣に住んでいる人の顔も知らない世の中を無縁社会と呼んでいるのでしょう。

こんな人がいました。ある田舎のおじさんです。仕事の会合で田舎から都会にでてきた時のこと。一人の女性から声をかけられうれしそうについて行きました。するとその女性はア〇ランスの営業の人だったのです。おじさんは髪の毛が薄かったので今ならお安くしておきますよと言う甘い言葉につられたのでした。仕事から帰ってきて奥さんに報告しました。「あんた馬鹿じゃないの」と奥さんに怒られました。田舎に住んでるので地元はみんなおじさんの髪の毛が薄い事は知っています。今さら髪がふさふさしてたら逆に変です。 しかしおじさんは都会なら誰も自分のことは知らない。田舎ではごまかせなくても都会ではごまかせるからいいと思いました。しかしよく考えてみるといくら人をごまかせても自分はごまかせないと言う事に気がついたのです。都会では誰も自分の事を知らないから堂々とかつらをかぶれるというところに、自分の生き様がいいあてられます。「過去と現在と未来の人びとを救いたい」という法蔵菩薩の願いは、生きとし生ける全ての人々を救いたいという願いなのです。

南無阿弥陀仏

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