若い人たちの好物にチョコレートがありますが、そのチョコレートの原料となるカカオの生産地が西アフリカだそうです。先日新聞に「子供の売買、西アフリカで横行。カカオ農場で奴隷扱い」という記事がでていました。西アフリカ沖で「人身売買船」が行方不明になった事件がありましたが、当然人身売買は違法行為です。西アフリカのベニンという国の貧しい農場に仲介業者がいき、「子供には教育を受けさせる。仕送りもさせる」と説明して、わずか数ポンド(一ポンドは約180円)で買うというのです。子供たちの行き先は、コートジボワールやガーナのカカオ農場に売られ、粗末な食事と長い労働時間、狭い部屋で酷使され、病気や衰弱して働けなくなれば捨てられるというのです。そして、西アフリカで奴隷扱いされている子供が156万人以上に上るといいます。(2020年、シカゴ大学)
考えてみると私たちが何の疑問もなしに、美味しいと食べているチョコレートは、奴隷扱いされた子供たちの労働の犠牲の上でのチョコレートなのです。チョコレート一つ取り上げてもそうですから、私一人の生命を保つためには全世界の人の生命と関係しあって保たれているのです。このような沢山の人々の悲しい事実、犠牲の上に成り立っている生命なのです。
経典の中に「おのおの貪欲・瞋恚・愚痴を懐きて自ら己を厚くせんと欲えり、多くあることを欲貧す」とあります。自分さえよければ人はどうなってもかまわないと言わないまでも、自分の生命の成り立ちをしらないのです。知らないということは知っている者より罪は深いのです。なぜならば知らなければ何の問題、疑問も生じません。知ることができれば罪を犯していることの自覚、懺悔が自然と生じるからです。私の盲冥、闇を照らしだして下さるおはたらきがあればこそ、私の所有物としての生命ではなかった、無量の生命をいただいて成り立っている生命であったと、敬うことができるのでしょう。南無阿弥陀仏