末代無知の御文

近年日本人の平均寿命は80歳を超えたと言われています。そして、日本人の一日の平均睡眠の統計を見てみますと年代を超えて7時間22分だそうです。切りよく7時間の睡眠で80年の生涯で計算してみると、なんと約23年の睡眠時間になります。そうすると今年で45歳になる私は今まで約13年も寝ていたことになります。起きていてる時間は32年。人生の約半分は寝ていたことになります。ただの統計に過ぎませんから個人差があり一概には言えませんが、しかし今まで気づかなかったこの数字には驚きました。今まで頑張って生きてきたつもりが、半分は睡眠に費やしてきたと思うと何かもったいない感じがします。しかし、睡眠を否定するつもりはありません。寝だめと食いだめは出来ないというように生きていく上でとても大切な営みです。大切な時間と受け取るか、無駄な時間と受け取るか、私の受け取り方が問題なのだと思います。
お参りに行くと必ず最後に蓮如上人のお文を拝読させていただきます。「あなかしこあなかしこ」で終わるお手紙です。その一番読まれて親しいお文さんは「末代無智」のお文さんです。  
 この、お文の最後に「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」という言葉が出てきます。寝ている時も起きている時も念仏すべしと言われています。起きている時ならまだしも、なぜ寝ている時も念仏申せと言われているのでしょうか。蓮如上人は今から500年も昔、人々の睡眠時間の統計をとって、あなたは人生の半分は寝ているのだから起きている時はもちろん寝ている時もお念仏申しなさい促したのではありません。これは睡眠時間のことを言っているお文ではありません。この「ねてもさめても」に漢字にすると「寝ても醒めてもと」となります。つまり、私達は日常生活の中で目をパッチリ開けて生きているつもりですが、実は眠っていると言われているのです。真実に目を覚まさずに自分勝手な妄念妄想にどっぷりつかって、現実から目をそらし自分中心の酔いに眠りふけっていると言われているのです。その妄念妄想から目を醒まさせていただく教えがお念仏のみ教えです。

南無阿弥陀仏

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